第六十八話 臨場感


      

昨日のWBC見ました?非常にに緊迫したゲームで、見てるこっちもゆったり座ってなんか居られないという感じでした。あ〜、疲れた。最後は勝てて本当に良かった。あの緊張感はどこから来るんだろう? もちろん、接戦だったという事もありますし、こっちのWBCという思い入れもある。集中して観るゲームは臨場感を増幅させますね。この臨場感こそが面白さ。

ところで、セーリングも集中して走らせると緊張感が生まれ、それによって臨場感がより高まる。ただ、求める思い入れが重要です。少し前になるが、あるクルージング艇の舵を切るとドローンとした少し鈍い感じで針路が変わっていく。何だ、この感じは。もっとシャキッと曲がれないのか? デイセーリングなら、もっと鋭敏さを求めたい。もちろん、この時のヨットはクルージング艇だから仕方ない。だからこそ、何を求めるかの思い入れが重要で、それに見合う臨場感を与えてくれるヨットじゃなくちゃ。

我々が楽しむのは臨場感です。それは自分の思いが創る臨場感とヨットの性能が創る臨場感がある。旅という臨場感とセーリングという臨場感が同じであって良いはずが無い。その臨場感はヨットの持つ性格に寄って創り出され、さらに、その臨場感の質のレベルはそのヨットの質の高さによって創り出される。だからヨットの性能を見るのは、どんな臨場感かを想像させてくれる。

しかし、我々の感じる臨場感はヨット本体からのみもたらされるわけじゃない。今度は、乗り手側にもかかってくる。プロを雇って載せてもらったら最高の走りになるかもしれない。自分であれこれ試行錯誤して走らせた時、そこまでの走りにはならないかもしれない。臨場感はそれぞれ違う。

結果だけならプロには敵わない。しかし、人は不思議な感覚を持っており、自分が何をしてきたかに寄って、そこから得られる臨場感はプロをも凌ぐ。何故なら、求めている事は楽しさや面白さだから。自分の思いがあって、そのうえで舵を握ってその感覚を楽しみ、操作してその反応を楽しむ。もちろん、結果はどうでも良いわけじゃないが、そこに至るプロセスも臨場感の形成には重要です。

ヨット本体は整備をして最高のコンディションにするのは、その臨場感を形成するに当然必要ですし、でも、本来の性能以上にはならない。ところが、乗り手がどんな手間をかけるか次第で、その臨場感は大きく違ってくる。そこが人に寄って大きく違う処。便利な世の中は、我々が手間をかけないで良いようにと誘う。それに慣れてしまった我々はどんどん面白さという感覚を失っているのかもしれない。

ヨット本体の性能や装備は臨場感形成に重要な要素であるが、そこに頼り過ぎ無い方が良いんじゃなかろうか?ヨットに対する思いがあって、どんな手間をかけて面白さという臨場感を盛り上げるか、そこまで想像できたら良い。ああして、こうして、そんな想像も結構面白い。

次へ       目次へ