第三十三話 上達の罠


      
最初の頃は緊張して、出航時どこかにぶつけないようにと慎重になり、外に出てもその緊張感は解け無い。セールを上げると一息ついて、それでも、こちらに向かってくる漁船やボートなんかとすれ違う時に緊張したり、セーリング中も緊張は解けない。

逆の見方をすると、全神経がそこに注がれていた。まだまだセールフィーリングを味わう余裕は無いかもしれない。でも、ひとりでセーリングを可能にしてきた喜びはある。そして、徐々に人は慣れていくもので、繰り返していくうちに要領を得、緊張感は解けてくる。すると、セールフィーリングがもっと余裕で味わえるようになるはず?あの緊張感が嘘だったかのように、楽々セーリングをする事ができるようになる。

ところが、慣れるに従って自動運転になって行く。そんなに神経を使わなくても、無意識で操作をやっていける。緊張感はどんどん薄れていき、漁船が近づいてきても、ブローが入っても、殆ど自動的と言いますか、無意識に操作して対応する事ができるようになる。いわゆる初期的な上達です。

これは車の運転なんかを見ると明らかに解る。慣れてしまうと、ハンドルやアクセル、ブレーキ、例えマニュアルギヤの操作にしても、殆ど自動的と言って良い。こうして、ああしてなんか考えてから操作するわけじゃない。運転しながら、音楽を聴く事も、おしゃべりなんかもできる。車は良いんです。移動ですから。

ところが、セーリングにも同じ様に進んでいくと、もはやセールフィーリングをそんなには感じなくなる。何しろ、意識はセーリング以外の処にある。退屈感が少し出てくると、友人や家族を誘ってのピクニックを楽しんだり、どこかに行きたくなったり。しかし、そうしょっちゅうできるものでも無い。これが慢性的退屈病みたいなもので、上達するのは良いが、その反面罠に陥る事になる。

そこで、セーリングを長年楽しむ人達はどこが違うのか? 上達しても、自動運転にしない、無意識的な操作に陥らないという事じゃないかと思います。例えば、車のハンドルを無意識では無く、故意に意識して操作してみては如何でしょうか?恐らく、これまでとは違うフィーリングを得るかもしれません。これと同じで、舵を持つ手に意識を置きますと、今まで以上に、波の変化を感じると思います。シート操作も意識的にやります。

これまで既に慣れてしまった操作を意識的に持続するのは逆に難しいかもしれません。そこで、これを可能にする方法は、さらなるセーリングの上達を目指す事ではないかと思います。新しい何かをする事によって、初心者だった頃の様に緊張感を保つ事ができる。同じレベルではありませんが。

舵とジブ/メインシートでセーリングはできる。そこで、もうひとつメインシートトラベラーを使う。どういう時に、どう使えば良いかを考え、それを使いこなす事を考える。これで神経がセーリングにキープされてくる。すると、必然的に舵操作もシート操作にも神経が注がれる。だから、これまでとは違ったセーリングを感じ取る事ができる。

慣れた自動運転からの脱出は、その意識さえキープできるなら永遠に続く。トラベラーがある程度使えるようになったら、バングもあるし、バックステーもあるし、カニンガムもある。しかも、さらには、これら全部の組み合わせもある。自分のレベルが上がれば上がる程に、セーリングの奥の難しさも解ってきて、そのフィーリングも解る。これぞセーリングの本当の面白さではなかろうか?だからやっぱりヨットを長年に渡って楽しむには、セーリングに上達し続ける意識を持つ事ではないかと思います。その合間にピクニックもクルージングもできます。

上手くなって何が良いか? セーリングの奥の難しさを味わう事ができる。自動運転は楽だけれど、楽になればなる程、意識は他の何かを求めていく。するとセーリングが疎かになる。どうせなら、セーリングの上達方向に向かえば、もっと上手くなれて、もっとセーリングを感じれるようになれる。

何かを楽しむコツはその対象に意識を置く事だと思います。意識的なセーリングをして上達を目指し、ピクニックの時はピクニックを意識し、その場その場を臨機応変に意識を合わせていく。そうじゃないと、今日一日、何を楽しんだか解らなくなってしまう。無意識は上達の罠。



 

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