第十話 特別な事



      
何か特別な処にこそ面白さがあると考えがちではないでしょうか? でも、もし、そうなら、特別な時にしかヨットを楽しめない事になります。そして、その特別な時は、しょっちゅうやると特別では無くなります。つまり、普通の時にこそ、普通でありながら、何か面白さを得たい。ならば、しょっちゅう味わう事ができます。

いつでも出来るデイセーリング。そこに面白さを感じる事ができたら、しょっちゅうできます。しかし、問題は、いつも同じではつまらなくなるという事です。そこで、何らかの変化を追う事になります。風は幸い変化します。しかし、それだけでは不十分。その風の変化により意識を置いて、より自分のセーリングの変化を追う。しかも、上手くなっていくという成長の変化です。上手くなるというのは限りがありませんし、様々な風において存在します。だから、デイセーリングを楽しむうえにおいて、自分のセーリングが上手くなるという発展をテーマに置くと、いつまでも楽しめるのではないかと思います。日常に上手くなるという進化、それによるフィーリングの進化、日常であり、普通なのにその変化を追えば、いつも特別にする事ができます。

つまり、特別な処にこそ、面白さを感じるわけですが、その面白さは何か特別なイベントでは無く、自分自身の頭脳や腕やフィーリングに、その発展に置くという特別な処としてはどうでしょうか?我々は環境に影響されますが、環境頼りばかりでは無く、自分自身を軸に置く事を意識してみてはどうだろうか?

吹かない時はどうするか?何を楽しむか?吹くときはどうか?いろんな場面で何をどう楽しむか?その想像こそが特別な何かを創るのではないかと思います。遊び上手な人は自分自身を遊ばせるのが上手です。その時のその環境の何が面白さを引き出すかを自然に想像してしまう。遊び下手な人は、環境のせいにしたがるのかもしれません。特別な何かは、外部では無く、自分の中に想像する事を考えたら良いかもしれません。



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