第二十一話 セーリングの心



      
セーリングは何かの用を成す為に乗るわけではありませんので、結局、何の為かと考えますと、心の為、フィーリングの為、味わいの為、感じる事が全ての目的になると思います。ヨットのサイズも、デザインも、スピードも、安定性も、船体剛性も、ヒールも、知識も、技術も、ありとあらゆる事が心の為、それで何を味わうか、感じるか?

ですから、心無くしてヨットもセーリングも有り得ない。という事は、最も重要な事は感じる心にあるという事になります。だったら、自分のフィーリングに注意を払って、今、どんな感じを得ているのかを意識してみたら良いんじゃないかと思います。もちろん、誰もが感じてますが、もっと意識的に注意を払っても良いんじゃないかと思います。

それは吹いていないから、スピードが出ていないから、つまらないとか言う事では無く、自分でできる操作を全部やって、そのうえでのフィーリングで、そのフィーリングに良し悪しの判断をせずに、そのままを感じてみたらどうだろうか?

セーリングすれば、いろんな事があって、良い事ばかりではありませんが、できる事やって、そのセーリングをありのままを感じてみるというのはどうだろうか? そうすれば、微軽風を感じれるし、強風を感じれるし、ありとあらゆるセーリングをそのままに味わえる。中には感動する様なセーリングにも出会うし、漂う様なセーリングにも出会う。その全てを感じるのがセーリングという遊びなのではなかろうか?

誰もが、楽しい事、面白い事を求めますが、時に、何も求めずに、そのままのセーリングを味わってみる。ひょっとしたら、その方が結果的に楽しかったり、面白かったり、それ以上の味わいがもたらされるかもしれません。

        

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