第三十七話 アレリオン誕生物語 U



       
 
1990年、フロリダで最初のアレリオン28が建造されます。その評価は高く、よって、その後、ロードアイランド州ブリストルの Barret Holby’s という造船所はプロダクション化を考え、モールドを作成、6艇を建造しています。後に、これを見たTPI(後のPearson)社の経営者であるEverett Pearson 氏は、これを非常に気に入って、この後の交渉によって、このアレリオンのモールドを購入、製造を開始します。”アレリオンの美しさとセーリングクオリティーにおいて、これを越えるものは無い”と、Pearson 氏はこの時言っています。そして、1994年、そのプロモーションに当たって、Garry Hoyt 氏を迎え入れる事になります。

Hoyt 氏は、1976年に、フリーダムヨットを立ち上げた人物で、マストにはスタンディングリギンの無い、フリースタンディングのマストでした。この時、22フィートから44フィートを建造しています。また、発明家でもあり、様々な艤装を考案、2001年には Industry Award を受賞しています。

当時、Hoyt 氏はこのように言っています。”これまでセーリングしてきた中で、最もバランスの取れたヨットである” ”リーチングにおいて、舵から手を離しても、そのまま真っ直ぐ走る事ができる” ”この美しさだけでも、たくさん売れるようになると良いんだが” もちろん、当時、購入者が求めるものは、家に居るような快適性、装備、広さ、そういう物であった。ヨットの美しさが優先されるものでは無い事を十分に承知の上でした。

Hoyt氏はこれから、アレリオンのプロモーションに尽力していきます。当時はデイセーラーと言えば、20フィート前後ぐらいを意味するもので、アメリカの大きな市場といえども簡単には売れない。世の中が求めているのはセーリングでは無く、快適キャビンであった。ただ、プロデザイナーの目は違っていました。この時、プロデザイナー達の間では、最も美しいヨットと、高く評価されています。

TPI(後のピアソン社)のピアソン氏はSCRIMP工法によって、アレリオン28を建造します。この工法は、通常の職人によるハンドレイアップの積層の2倍以上の強度を得られる事で知られており、樹脂とグラスファイバーの含有率が理想的にコントロールできるとされています。
 この事によって、強い船体が可能になりました。(バキューム/インフュージョン工法)

しかし、当初
アメリカ市場においても苦戦を強いられます。キャビン至上時代に、こういうキャビンの小さなヨットが受け入れられなかった。ところが、時を経て、徐々に、ビッグボートのオーナー達が、その年齢もあり、もう遠くに行かなくても良い。しかし、現役で気軽にセーリングがしたいという人達がアレリオンを求めてきました。小さいながら、その存在感と美しさ、それに高い安定性と帆走性能、彼らを満足させるものがあった。

その後、90年代終盤には、他の人々にも注目され始めます。キャビンよりもセーリングを楽しみたいという方々にとって、このアレリオンの性能はキャビンの狭ささえ受け入れる事ができれば、最高のセーリングが手に入る。そこから徐々に市場に認められていきます。 Hoyt 氏は キール形状の変更やその他のマイナーチェンジを繰り返し、さらに、自分で考案したコクピットから1本のシートでメインセールをリーフできるシングルラインリーフシステムをアレリオンに採用します。さらに、これもまた自分で考案したジブブームをアレリオンに採用しています。この事によって、アレリオンは、さらにシングルハンドセーリングを容易にしています。これまでのダウンウィンドにおいては、スピネーカーを必要としていたものが、世の中が徐々にジェネカーに移行する間に、一挙にジブブームによって、簡単にダウンウィンドを可能としています。ジブブームを設置する事によって、今までダウンウィンドでは使えなかったジブセールを、そのまま使えるようになったわけです。これでシングルハンドの使用において、実に楽に、あらゆる角度に帆走できるようになります。
した続く・・・・・・
  
  
Hoyt 氏考案のフリースタンディングジブブーム

                               

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