第五十四話 異空間

日常の空間は、自宅とその周辺、仕事場とか、日常に居る空間です。そこに慣れてしまっているので、たまに、旅行とか行きたくなります。或は、別荘を買う。緑豊かな場所とか、海のそばとか。そこは異空間です。だから、非日常になります。

異空間は、それだけで、気分が違って来る。ただ、そこで食事するだけでも、その気分を楽しめます。その異空間はマリーナやヨットのキャビンも想定されます。

さて、これら空間的な非日常性は、その空間に慣れてしまうと、非日常性が薄れてきます。だから、そのうち食事だけでは、物足りなくなる。そうしますと、行く回数を減らして、非日常性をキープするか、或は、誘う相手を変えるか、そこで何か違う事をしないと楽しさが薄れてくる。

ところが、趣味となると、何故、あんなに同じ事を繰り返しできるのか? ゴルフ好きは毎日でもしたくなる。絵画や陶芸、あらゆる趣味は、繰り返し繰り返し同じ事をやっているように見えます。それでも、飽きない。ヨットにおけるセーリングも同様です。

空間に変化は無い。最初は異空間だったものが、しょっちゅう行きますと、それが日常の空間になってしまいます。実際は変化しているのでしょうが、その時間的サイクルは非常に長いので、気が付きません。

では、趣味は? 傍から見ていると同じ事の繰り返しなのですが、やってる本人にとっては同じでは無いと思います。少しづつでも変化しているし、その事に本人は気がついている。気がついているから、もっと上手くやろうと考えます。変化だらけなのです。だから、ずっと続ける事ができます。変化の時間的サイクルは空間より遥かに短いと思います。

我々は、最初は空間に目が行くかもしれません。でも、そこで起こる変化を考えた時、どんな変化を体験できるか? 別荘周辺の四季折々の変化もあるでしょうが、その時間サイクルは長いので、そこに満足できるか? 簡単に言えば、四季の年4回で良いのか? 変化に鋭い方は、もっと短い変化サイクルを見出すでしょう。 そうなると、もはや、趣味的な要素が強くなるのではなかろうか?

つまり、どれだけの変化を見出す事ができるか? そこが重要であって、時間的サイクルはその物事によって異なると思いますが、それは人次第になります。趣味はその変化を短くできる。何故なら、趣味であるが故に、注意力が違い、より多くをそこに注ぐ事になります。

よって、ヨットの場合、異空間であるマリーナやヨットのキャビンよりも、セーリングの方が、その変化を見出し易いと思います。だから、セーリングを趣味にしませんか? と思う次第です。

あらゆる物事は変化し続けています。諸行無常と言われます。しかし、その変化スピードは、物事によって、実にゆっくりもあれば、早いのもあります。いずれにしろ、その変化を追う事は、それはもう趣味的な世界ではなかろうか? 楽しいレジャーは瞬間的であり、面白い趣味はプロセスではなかろうか?

異空間だったものが、やがては日常空間になる。だから、別荘は閑古鳥が鳴いている。ヨットもそれに近い。だから、セーリングを趣味として、プロセスを持ち込む事で、面白さを得ていくのが、充実感を得る最高の方法ではなかろうかと思います。

前話で盆栽の事を書きました。この変化サイクルは非常にゆっくりです。これを趣味にできるかどうかは、その長い変化サイクルに自分が合わせられるかどうかではないかと思います。ゆっくりした変化に、その変化を見出す事ができるかどうか? そのゆっくりテンポに合うかどうか?あまりにもゆっくりした変化ですから、その微妙な変化を見つけられるかどうか?

楽しむというのは、瞬間的な事もあるし、長期的な事もあります。瞬間的な楽しさはレジャー的だろうと思いますし、長期的な楽しさはプロセスを追う事になり、趣味的であり、それは楽しさを越えて面白さになると思います。

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