第59話 趣味と娯楽

娯楽というのは。誰でも、その場でインスタント的に楽しめるもの。昔も今もテレビは最大の
娯楽でしょう。リモコン操作ひとつで、誰でも簡単に楽しめる。映画しかり、ボーリングしかり
でも、これらを追求していくと、もっと深く知ろうとすると、それは娯楽の域を越え、趣味の世界
に入ってくる。調べるという行為がでてきたり、練習が必要だったりです。

ものによっては娯楽にはなりにくいものもある。スポーツは元来娯楽というより、趣味性が高い
と思います。野球などは子供の頃から比較的慣れ親しんだせいで、今やろうと思っても、へた
なりに楽しむ事ができます。ゴルフやテニスはへた過ぎるとゲームにはならない。こういうもの
を娯楽として捉えるならば、そうしょっちゅうするものでは無い。しょっちゅうやりだすと、それは
娯楽から趣味の世界に入ってくる。

ヨットはさらに趣味性が高い。初めてマリーナに来て、ヨットを借りて乗れるものでは無い。練習
が必ず必要です。練習しないと全く乗れないものは娯楽にはなりにくいのです。ところが、練習
を少しすると、何とか乗れるようになる。一旦乗れるようになると、それからが問題です。娯楽と
いうのは、何かを追及したり、練習したり、うまくなろうという意思などは無い。その場がをインス
イタント的に楽しめれば良いわけです。こういう場合、ものにもよりますが、ヨットはそうしょっちゅう
乗ろうという事にはならないでしょう。もし、ヨットが娯楽になれるものであったなら、もっと大衆的
であっただろうし、誰もが、ヨットを借りて楽しめるものになったでしょう。それも年に1回か2回しか
乗らないとしても、大衆娯楽は人口の多さによって、良く動くものとなったと思います。ところが、
ヨットは娯楽にはなりにくいものである為、ある一部の人達の乗り物となった。金額の問題では無
いと思います。どこの家庭でも、車に1台や2台はある。ヨットによっては、安く手に入れられるもの
もたくさんあります。この趣味性の強さが娯楽にはならない原因ではないでしょうか。

さて、趣味として始めたヨットは、一旦乗れるようになると、途端に娯楽と変化してしまう。娯楽は
もっと追求しようという姿勢はありません。うまくなりたいという姿勢は無い。それで、年に1回か
2回程度のクルージングになってしまうのではないでしょうか。娯楽にしては高価な買い物です。
しかも乗る時にだけお金を払えば良いのなら、多少高くても良いのですが、ヨットを持てば、車の
駐車代にあたる保管料がかかり、メインテナンス費用もかかる。メンテを自分でするなら、もう自分
でする事自体が娯楽では無くなるのですが、少なくとも、ただで漁港とかにおいてもらう以外は多
少なりとも費用がかかる。そういうものをキープしながら、娯楽とする事自体に無理があります。

ところが、実際は、多くの方々が趣味から娯楽へと転向しておられるのではないかと思うのです。
個人の自由と言えば、それまでですが、娯楽にしてはあまりにも無理がある。娯楽だから動かさ
ない。そういう事ではないでしょうか。ヨットは趣味性が高いので、うまくなりたいとか、追求する姿
勢が要求されます。誰でも、最初はそういう気持ちを持っていたと思います。いつのまにか忘れて
しまった。

娯楽は簡単です。その場が楽しければ良いのです。でも、海という自然はいつでもそういう楽しさ
だけを提供する事は無い。さらに、知らない遠くへ行くのも娯楽として行くにはちょっと気が重くなる。
娯楽には絶対の安全性が必要です。遊園地のジェットコースターのように、スリルを味わうも、根底
には絶対安全であると思うから遊べるのです。誰かが安全性を保証してくれてるから娯楽たりえる。

つまり、ヨットは趣味としての追求姿勢が無いと動かせるものでは無いという事です。それで、趣味
と娯楽のもたらす大きな違いは、娯楽がその場限りの楽しさであるのに対し、趣味はもっと深い充実
感を与えてくれる。誰でも、充実感を得たいと思う。感動を得たいと思う。でも、遊びが娯楽である限り
そういうものを得る事は無い。

ヨットは娯楽というより趣味に相応しい。趣味としていきてくる。ですから、趣味として遊んで頂きたい
と思うのです。そうすると、追求した分だけの充実感が沸き起こってきます。趣味と考えた場合には
ヨットの選択も違ってきます。もちろん、娯楽の部分もあって良いとは思いますが、基本は趣味にする
事がもたらす恩恵は大きいと思いますね。

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