第五十九話 こだわり

ヨットは趣味性の高いおもちゃです。だから、どうしてもこだわりたい。何でも良いわけではありません。ちょっとした事が、大きな違いに見えてくる。それが趣味というこだわりでしょうし、そこが重要なポイントでもあると思います。それが無いと、趣味性が薄れて、面白さの追求が薄れて、ただの乗り物になって、ただの移動手段になるかもしれません。それでは、長く楽しむ事は困難になるのではなかろうか?

趣味は遊びの部類には違い無いけれど、他の一般的遊びとは種類が違う。そこにこだわりが出てくるからこそ、そのこだわりは自分の個性であるから、しかも利害は無いし、最も自分自身を追求した形として現れてくる。だから、何でも良いは、自分の個性が出ないから、求める面白さもそこまでではなかろうか?

こだわりは、他人から見たらどうでも良い事もあります。性能には関係無かったりします。でも、これは当たり前で、他人は私では無いから。形にこだわり、色にこだわり、艤装の仕方や性能等々、こだわればきりが無いかもしれませんが、でも、自分のこだわりを大事にする事は自分を大事にする事ではないだろうか?

こだわりすぎて、本質を見失うという事もあるかもしれません。でも、それは自分が納得しないと変えれないものだろうし、納得せずに変えると、いつまでも引っかかるものが残る。だから、遠回りをする事もあるかもしれませんが、納得しながら進める方が良い。

実際、乗りにくいヨットがあります。でも、形に惚れてしまったら仕方無い。納得するまで、それに乗り続ける事が必要だろうと思います。案外そのままで満足できる事もあるし、やっぱり違ったなと思う事もあるかもしれません。でも、趣味性の高いものは合理性で納得できるものでは無いし、第一
人間そのものが合理的では無い。

理論を考える頭の良い方は、比較的合理的に考えるかもしれません。それはそれで正しいとも言えますが、でも、人間の満足感は合理的では無いし、感性などはひとりひとり違うし、特に趣味性の高いヨットには、そこが大事になる。

とは言っても、一般的に良いヨットと言われるものがあります。それはある目的において、品質が高く、性能が良いヨットです。確かに、それらは乗って違いが出てくる。それは確かだと思います。
そういう誰もが認める性能、品質というのも確かにある。しかし、それでも絶対とは言えません。

何かの成果を求めるのであれば、合理的に考え、好みは邪魔でもある。レースで勝つ事が目的であるなら、合理的考え方をしなければならない。しかし、何らかの成果を求めるので無ければ、こだわりをもって、遊んだ方が面白い。

例えば、現代でも、カメラ好きの方は、デジタルでは無く、フィルムが良い、味わいが違うという方がおられます。私から見ればその違いが解らない。でも、そういうこだわりを持つ方はデジタルでは満足できない。そんなものでしょう。それで良いんだと思います。彼にとって、カメラは成果を求めるものでは無く、趣味なんですから。

こだわりを捨てろとも言われます。しかし、こだわりを捨てて、何が残るのでしょうか? 何らかの成果を求めるのならそれも解りますが、趣味の世界である限り、こだわりを捨てるのは御免こうむりたい。こだわりながら、成長して行けば、それで良い。迷ってでも、遠回りでも。

次へ       目次へ