第九十二話 点と線

何かを考える時、それは点として見ます。しかし、現実は点でありながら、同時に線の様に変化しながら、時間とともに流れていきます。ですから、点として捉えますと、それは正しいのでしょうが、同時に流れて、変化してしいまいます。

何でもかんでも装備して、楽にでかいヨットを動かす事ができる。それは良い事だと思います。そして、想像する時は点として想像しますから、その大きなヨットを簡単に操船する自分が見えます。しかし、それを線で見る時、いま、来週、来月、数ヵ月後、来年、そういう流れで見る時、その最初に思った楽で良いという事が続くだろうか? そこにどうしても疑問を持ちます。もちろん、その時が来た時に考えれば、それはそれで良いとは思います。

最初から点と線で見る時、今とそれからの変化を考えると、その変化において繋がりという線があって、その線は木の幹のようなもので、それが成長しながらも、枝という他の事もやりながら、幹が成長していく様を遊ぶ。そういう感じかなと思います。

その幹は各人が考えて、自分の面白さを成長させていけば良いんですが、ひとつの例としては、やはりセーリングを求め、上手くなって、自由自在を味わう事かと思います。そして枝の部分は、他の何でも楽しい事、宴会でも、デートセーリングでも、何でも楽しんでいけば良いのではないかと思います。

日本のヨット環境において、全体的に、海外の様な環境にはありません。ちょっとどこかに出して、ドライブインみたいな箇所があっちこっちあるわけではありません。スポーツカーに乗って、どこかに出かけて、しゃれたレストランでお食事というわけにはいきません。例えそういう場所があったとしても、圧倒的に少ないわけです。従って、これも枝の部類かと思います。

マリーナもいろいろありますが、どこにも出かけずとも、そのマリーナにずっと居て、それでも楽しさを感じるマリーナはそうは無いと思います。すると、何を主体にしたら良いのか、何を幹の部分にしたら良いのかと考えますと、これはもうヨットに乗る事自体、セーリング自体ではなかろうかと思います。

そのセーリングをどうやったら面白くできるか? そう考えますと、セーリング自体を求めながら、セーリングから獲得できる様々なフィーリングを味わう事以外に何があるんでしょうか?もちろん、いろいろありますが、幹として成長させながら、今という変化を楽しみながら、成長させて線としての面白さを得るには、やはりセーリングなのではないかと思う次第です。

そう思った途端に、意識がセーリングにピタリとくっつき、今までは感じ取る事さえできなかった事が解るようになったり、自分の変化がわかるようになったり、より多くの変化に気づけるようになるのではないかと思います。要は、我々が求めているのは変化であり、できれば、より良い変化です。停止は有り得ない。停止は衰退を意味しますから。必ず変化するものであり、ならば良い変化を得たい。それで、何したら良いのか、という事になると思います。だから、そのより良い変化を求めて、ヨットをやります。そういう流れを考えましたら、やはりセーリングに行き着くのではないかと思います。変化が避けられない現実であるなら、その変化は成長とするしかない。誰もが衰退は嫌でしょうから。それを点としてだけで見ますと、成長が無いという事になり、それは停止では無く衰退を意味する事になると思います。だからやがては飽きるしか無くなるのではないでしょうか?

ですから、点として楽しみますが、線を考え、その成長の方向性を制御していく。それが長く面白さを得る秘訣ではないかと思います。その過程には楽しくない事も含まれますが、でも、線としてみれば、必ず面白さがあると思います。

さて、いよいよ大晦日、良い年をお迎えください。2013年が皆様にとりまして、より良い年になりますようお祈り申し上げます。

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