第六十七話 達人になる?

そうそう遠くへは行けません。そうそうしょっちゅうは行けません。ならば、どこで充実感を得るかという事になりますと、やはりより深くという事になるかなと思います。10年や20年という長い時間をみますと、自分がやっている事に、或はやってきた事に、どこか充実感を感じないと、何か消化不良のような、不満が残るかもしれません。

何をどうするかは自分で決めれば良いわけですが、その決めた事を追求していく事が充実感を増幅させる事になるかと思います。仮に、セーリングしないで、クルージングもしない。宴会ばっかりやってるとしても、それを、もし、しょっちゅうやるとしたら、そこには何らかの変化が出てくるのではないかと思います。例えば、料理に凝るとか、何か解りませんが、誰もが同じ事でいつも楽しいという事にはならないと思います。今度はこうしようとか、必ず考えるものです。すると、そのうち、ヨットで宴会を楽しむ達人になるかもしれない。

人は刺激を求めます。同じ事がずっと続くと、刺激が足りなくなります。すると、何かを考え、変化を造ろうとします。その変化がヨット離れになる事かもしれません。だから、たまにしかヨットとの関わりをもたなくなるかもしれません。

でも、もし、ヨットに関わり続けて、変化を求めるとなると、何らかの工夫をする事になり、それを長く続けると、自分のしている事に関しては達人になれます。宴会の達人もしかり。つまり、長い年月を経て行う行為というのは、その道の達人を養成する事であり、自分自身を養成していけば、自分が達人になり、それで充実感も出てくるのではないかと思います。

ですから、何をしようが、セーリングしようが、クルージングしようが、レースしようが、メインテナンスしようが、宴会しようが、ピクニックしようが、何であれ、工夫しながら、長く続ける事によって達人になれる。達人になる事こそが、充実感を生み出すのだろうと思います。

ヨット離れを促進する要因は、自分で考えて、工夫しないからかな〜? 面倒くさいと思うからかな〜? 良い時ばかりを求めすぎるからかな〜? 

人間ですからいろいろありますが、基本的に、何か軸があって、それを生涯求め続ける。自分の感覚的な良い感じを求めるのでは無く、物理的な何かを求め、解明し続ける事が、結果、いい気持ちをもたらしてくれる。それが積み重なって、充実感に導かれるのではなかろうか?

だから、せっかくヨットにご縁があったわけですから、好きで入ったこの道ですから、ヨットのどの部分であろうと構わないので、好きな一点を軸として、深く追求していったら良いんじゃないかな〜と思います。

ある方、あまりセーリングしないし、あまりクルージングもしない。でも、古いヨットを買っては、そのヨットをきれいに修復して、終わったら、また買い換えて同じ事をされる。そんな方がおられました。
この方、そういうヨットのメインテナンスと言いますか、修復と言いますか、自分の好みに仕上げていく処に面白さを得てこられたと思います。セーリングしない、クルージングしない、でも、きっと楽しかったと思います。それで良いんだろうと思います。それぞれのやり方がありますから。

ですから、宴会でも良いし、ピクニックでも良いし、キャビンライフでも何でも良いんですが、一点の軸を中心に工夫し、試行錯誤し、その一点における達人になれたら良いんじゃないかな〜と思います。10年とかいう長い年月は、そういう事無しでは充実できないのではなかろうか? 或は、10年という長い年月は達人を養成するに相応しい時間の長さではなかろうか?10年という長い年月が、そういう事を要求しているのではなかろうか?

ピクニックセーリングでも、達人の域にはいったら、それはそれですごいもんです。いとも簡単にマリーナを出て、セーリングを楽に楽しみ、また帰ってくる。どんな状況でろうとも、簡単にやってのける事ができる。それって結構すごい事では無いでしょうか? これはこれで自由自在なのであります。何にしても、長く続ける事は、その道の達人になってしまいます。

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