第九話 感じる事の大切さ

我々の社会は、あらゆる面において便利にする事で発展してきました。その御陰で、快適な生活が出来ています。しかし、一方で、我々人間が生きるという基本的な感性という面においてはどうでしょうか? 便利になる事で、我々は感じるという基本的な機能が鈍くなっているのではないか?

頭は良いかもしれないが、まずは五感で感じる事の入口が鈍いと、その情報が頭脳に伝わります。最初から入った情報が雑であれば、その頭脳の処理も雑になる。そして、その五感は、生きているという事そのものではないかと思います。物と我々が違う所は、この五感です。物は感じない。人間は感じます。動物と人間の違いは頭脳。多分、頭は良くなっているかもしれませんが、感覚的には鈍くなっていないか?

それで、そこに、遊びという役目があります。遊びは、単に気晴らしとか、ストレスを和らげるとか、そういう面もあるでしょうが、その他に、我々が感じる力を養う事のできる行為ではないかと思います。

テレビやゲームでは、暇つぶしにはなっても、それ以上では無いかもしれない。だから、スポーツとかしますし、スポーツは健康の為だけでは無いと思います。その他、音楽を聴いたり、絵画を見たり、山や川や海という自然を見たり、何か美しい物を見る時、我々の感覚が刺激されます。その感覚が刺激されるという事は重要な事なのではないかと思います。

その刺激が、好ましいものであれ、好ましく無いものであれ、いろんな刺激を受けるという事が、我々の感覚を豊かにするのではないか、それは決して便利さから生まれるものでは無いのではないかと思う次第です。

ですから、セーリングは格好の材料なのです。五感をフルに活発にして、いろんな感覚的刺激を受けるというのは、非常に大切な事なのではないでしょうか? この便利な世の中だからこそ、この感覚は、ほっとけば鈍くなりかねませんが、磨けば、鋭くなる。豊かになると思います。

ヨットは娯楽にもなれば、緊張感を楽しんで、感性を刺激する事もできます。 中でも、セーリングは特に感覚を刺激します。それは、面白いとか、楽しいとか、そういう面ばかりでは無く、我々の五感を刺激します。

我々は遊びというと、ゆったりとか快適とかを思います。それも良いんですが、時には、緊張感を味わったり、スリルだったり、ただ、速いとか遅いとか、テクニックとか、そういう事ばかりでは無い、感覚重視の時間を持つ事は、とても大切な事ではないかと思います。

セーリングをする時、その時のスピードや技術的な事ばかりでは無く、感覚を意識して、少しでも微妙な感覚を感じ取るという意識は、我々の感性を鍛え上げて、鋭くしますし、それでもって、得る鋭い感覚は、人生を豊かにするのではないか? 今迄気がつかなかった事に気付く事ができるようになります。

ですから、あらゆる感覚を刺激した方が良い。美しいヨットを愛でるとか、舵の感覚とか、走る感覚、調整した瞬間の感覚、あらゆる感覚です。潮の臭いもありますし、波や風の音もあります。普段の生活で、そんなに感覚というものを意識はしていませんが、それをセーリングで意識する事で、感覚は豊かになる。セーリングは格好の手段になりますね。

感覚が豊かになると何が良いのか? 多分、今迄気付かなかった事に気付くようになるという点。それは同じセーリングしても、より解るようになる事と、普段の生活でも同じように、新しい発見があるかもしれません。我々は便利を享受して良いわけですが、その代わりに鈍感になりつつある感覚を、遊びを通して磨いていく。大切な事ではないかと思います。

これもセーリングの効用かと思います。

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