第八十二話 ヨットって一体何?

乗り物、遊び物、いろんな事に使えます。宴会ができる。寝泊りもできる。旅ができる。もちろん、セーリングができる。セーリングしてレースもできる。陸上生活者が、海に出るという事だけでも、それはエキゾチックな体験です。ヨットって何? 私の結論は、ヨットはただの物、FRPの塊、それ自身には意味が無いものととらえます。

でも、それに意味を見出し、命を吹き込むのは、我々です。そのヨットをどう捉えるかによって、そのヨットが持つ意味は異なります。元々、ヨット自体に意味は無く、我々がそう思い込んでいる事かと思います。

誰もヨットを見た事が無い場合、そのヨットはどんな風に捉えられるか?興味ありますね。我々はヨットを知っているわけですが、ヨットがどうこうという前に、何をしたいのかと考える必要はありそうです。それも、今日何をというのもありますが、一年間を通じて、5年、10年、20年と続くであろうヨットとの関わりをどうしたいのか? 細かい事は別にして、ヨットで何をしたいのか?

我々が考える時、それは写真のように一場面を想像しがちです。でも、現実はビデオのように、延々と流れていきます。ですから、一場面もありますが、ビデオ的に長く、流れる場面という事を想像した方が良いのではないでしょうか?それが、より現実に近くなるのではないでしょうか?夢はありますが、ヨットは現実でありますし、日常は現実でありますから。現実をものにする必要はあると思います。夢を現実化する為にも。

仲間を招待して、クルージングやピクニック、宴会、いろいろできますが、でも、長い年月を考えた時、最終的には、他人を含めますと、その他人次第という可能性が高くなります。夫婦なら良いのでしょうが、なかなかそれができない。だから、究極的には、シングルになろうかと思います。
シングルでセーリング、シングルでクルージング、そういう処を基本的に持つという事が重要なのではないかと思います。そうできたら自由自在です。思い通りになるクルーを確保するには、給料でも払わなければ無理な話。

最初はみんなが集まるが、そのうちそうでも無くなります。そうなった時こそが、本当のヨットライフの始まりではないかと思います。そこから何年も続いていきます。ですから、最大公約としてシングルを可能にする。それを基本的遊び方にする。それさえできれば、いつでも、自由自在です。ヨットを自由に操る前に、環境的条件として自由自在を持つ。

さて、ヨットとは何か?自分にとってヨットとは何か?暇つぶしか、好奇心か、冒険か、自慢の種か、いろいろあります。どれかひとつという事でも無いと思います。しかし、究極的に、ひとりになった時、その時ヨットは何なのか?そこが楽しめて、自由自在になる事が必要かと思います。

そして、誰かを誘う時、家族がくる時、いろんなイベントがあります。でも、それはイベントであり、大いに楽しむべきですが、それが日常では無い。ですから、日常的な使い方において、自分にとってのヨットとは何か? どう使えば、最も自分にとって面白いか? 充実感を得られるか? そこが最重要課題ではないかと思います。それさえおさえておけば、他はどうにでも楽しむ事ができるのではないでしょうか?

ヨットとは何か? 何でも無い。意味など無い。ただの物質に過ぎない。しかし、人がその物質に接した時、意味を与えてしまう。そして、人によってその物質に与える意味は違ってきます。どんな意味を与えようが自由ですが、その与える意味によって、ヨットは違ってくる。自分にとって、ヨットにどんな意味を持ちたいのか?日常の使い方を大切にしていただきたいと思います。

そんなたいそうに考えなくても良いのかもしれません。でも、10年という長い年月において、ヨットと関わっていくのですから、それは時間という大切なものですから、要は、ヨットというより、それに費やす時間と考えれば、それゃあ大事でしょう。ヨットに意味を持たせるというのは、自分の時間をどう扱うかではないかと思います。だから重要です。

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