第八十話 センス  

フィーリングを大事にしますと、センスが問われます。このセンスに良いも悪いも無いのでしょうが、多分、センスを気にしていますと、そのセンスが磨かれていくのではないかと思います。人間の感覚は非常に鈍感でもあり、また敏感にもなります。それは、気にしている部分には、自然と敏感になり、気にしない部分に対しては、自然に鈍感になってしまいます。

ですから、セーリングを気にしますと、それだけで、セーリングのあらゆる部分に対して敏感になりますから、それを続けていくと、そのセンスが磨かれていく。集中しようと思わないでも、自然にそうなっていきますから、リラックスしているんですが、鋭敏になってしまいます。ですから、セーリング中に、違う事を考えていますと、セーリングに対しては鈍感になります。

何を気にかけるか? それ次第だと思います。クルージング中に、目的地の事ばかりを気にしますと、クルージングの旅そのものに対して鈍感になるでしょう、すると旅のプロセスは十分に満喫できないかもしれません。セーリングでも、スピードばかりを気にしますと、今のセーリング状態に鈍感になる。だから、何を気にしているかを気にした方が良い事になります。

つまり、意図的に、味わいたい部分を気にかける事で、そこに鋭敏になって、より深く味わう事ができるのだろうと思います。そして、それを続ける事で、センスが磨かれていきます。人が気がつかない事まで、自然に感知してしまう。深く味わうというのは、そういう事ではないでしょうか?

上手くできるかどうかは次の事ですが、その前に、今の状態を感じていなければなりません。それが次のステップへの入口かと思います。どういう具合か感じられないなら、次へ進む事もできないかと思います。

センスは、ヨットに対するセンス、走り方のセンス、乗り方のセンス、いろいろあると思います。センスが磨かれるというのは、ずっと続けてきた御陰で、その目的に対して、本当の無駄が無く、美しくなるのは必然ではなかろうかと思います。それは俗に言う、かっこいい事ではないかと思います。好みはそれぞれありますが、センスの良さには、誰もが認めるカッコ良さがあるように思います。

ですから、最終的に目指すは ”カッコ良さ” という事になりますか。カッコ良く乗れるようになりたいものです。より解っている、スムース、余計な無駄無く、難しい事でもさらりとやってのける。
センスの良さは能力の高さとも言えるかと思います。無駄無くと言っても、単純に効率だけを追いかけるのとも違うと思います。兎に角、セーリングを気にして、続けていく事で、自分らしいセンスが磨かれていくのではないでしょうか? 磨かれたセンスは、誰が見てもカッコ良いと思います。

桟橋をヨタヨタ歩いている爺さんが、ヨットに乗った途端に、素晴らしい走りを見せるなんてのはカッコ良いです。年をとっても、こうありたいな〜と思います。センスは一日にしてならず、という事になりますね〜。ですから、普段からセンスを磨いておかないと。それには、気にする事、それを続ける事でしょうね。

今日の一曲 オスカーピーターソン Summertime

次へ        目次へ