第二話 遊ぶは学ぶ

遊びは快楽もあれば、学びもあります。快楽は楽しいが、学びは面白い。だから、ヨットは両方をもった方がが良いと思います。考えてみれば、快楽だけではつまらない。薄っぺらいものです。そこに学びがありますと、充実感を覚えます。何しろ、好きな事ですから、学びも面白い。

それで、快楽から入って、時折学びを入れて、デートセーリングを楽しんで、セーリングテクニックを学ぶ。その両方をバランス良く取り入れてこそ、長いヨットライフを続けていけるのではないかと思います。

快楽はいろんな自然、その他の条件に左右されますが、学びはどこからでも学ぶ事ができる。遊んで、学んで、また遊んで、学ぶ。楽しさを求めますが、実は楽しいだけではつまらなくなります。学びは、楽しさをも増幅させる。ですから、両方やった方が良い。

それで、ピクニック以外では、デートセーリング以外では、セーリングを学びましょう。いろんな事を試して、セーリングはどうなっているのかを体得しましょう。理屈を学んで、また理屈はそうかもしれないが、実際はこうじゃないか、いろいろ考えるところはありますから、それを体得していくのがセーリングであります。理屈を学んで、一旦は忘れる事も必要じゃないかと思います。それは、理屈を自らが創る事、体験を通して、本当に自分のものにする事かもしれません。

学んで知る事は面白さばかりでは無く、保険みたいな面もあります。知っているからこそ安心でもあります。でも、全てを知る事はできないので、ずっと長く遊ぶ事ができます。知ろうとする事が必要かと思います。それが無くなると、ピクニックだけではつまらなくなり、やがては足が遠のくのではないでしょうか?学びは絶対必要かと思います。それが面白さではないかと思います。

セーリング技術は重要な事ですが、それだけにこだわると疲れてしまう。快楽だけにこだわると、飽きてしまう。クルージングでも、同じ場所、同じメンバーだけでは飽きてしまう。常に、凪ぎ状態で、常に楽にどこへでも行けると飽きてしまいます。

勝手な言い分ですが、楽をしたいのですが、楽ばかりだと飽きてしまう。そういう矛盾があります。
でも、幸か不幸か、楽ばかりは有り得ないので、そこをうまく利用した使い方、考え方が必要ではないかと思います。それが前話の点と線ではないかと思います。

さて、学びには終わりがありませんが、だからこそ、そこに面白さを創る事ができる。小さな事であっても、知る事で、その後のニュアンスは変わります。あらゆる事を、難しいから業者任せにする、最初から拒否するよりも、解らないながらも、一旦はやってみるとか、そういう姿勢が、線を創る時に重要かと思います。難しいセールカーブも、学んでみようという姿勢が長い線を創る。どういう線を創るか?

セーリング技術、クルージング技術、それらを遊んで、学んで、自分の世界を増やしていく。ピクニック、宴会、デートセーリング、ファミリー、別荘、読書、掃除、メインテナンス、いろんな世界を、その時に応じて、臨機応変に使いこなす。遊びは学び、学びは遊び。

だから、新しい事に遭遇した時、どう捌くかも、何となく解ってくるのではないでしょうか?便利グッズが出る度に採用すべきかどうか、遊びと学びとのバランスを考えれば。それは自分のスタイルが分かっている事。何が面白いのか?何故、ヨットなのか?

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