第七十一話 バカバカしい事

この文明時代にヨットで移動しようなんてのはバカバカしい事。いくらエンジンがついていようが、現代の文明社会からすれば、効率の悪い事この上無い。セーリングにしても、目的地に一直線で行けば最短距離にもかかわらず、ジグザグコースを取らなければ進めない事がある。

だからこそ、ヨットは遊びだから乗れるものであり、逆に、遊びとして徹する事ができる理由でもあります。という事は、ヨットは遊び心で付き合うのが最適な方法であると言えます。効率、便利、そういう事よりも、楽しさ、面白さを優先するのが当然であります。

目的地に一直線で進めないからこそ、それをどうやってそこに達するか、それが面白さですし、そこにエンジンで行ってしまえば身も蓋もない。風向風速が一定していないからこそ、その状況の変化に合わせるのが面白さですし、現代の文明に逆らって、あえて、別の手段を取るところに面白さがあると言えます。

という事は、そのヨットの特性を遊ぶ事が面白さですから、そこを目一杯考えるのがヨットを味わうという事になるかと思います。できれば、クルージングするのも、マリーナの出入りは別にしても、本来は道中はセーリングをするというのが、本当は最も面白さを味わう事になると思います。状況によっては、面白くも無いかもしれませんが、それでも敢えて、セーリングをするというのは、ヨットを目一杯味わう事になります。

しかしながら、こういうセーリングは、それこそ時間に制限を設ける事ができません。無制限の時間が必要になります。実際には難しいかもしれません。でも、もし、そういうクルージングができたら、これこそクルージングの味わいなのかもしれません。

という事で、それをちょっとでも味わう為に、目的地を近場に設定して、セーリングオンリーで行ってみるというのも悪く無いかもしれません。セーリングで行きますから、道中がクローズアップされます。ある時は軽風、無風の時もあるかもしない。でも、次に行く時は快走かもしれない。行く度に状況が違います。快走なら3時間で行けるのに、状況によっては2倍の時間がかかたり、上りで、ジグザグコースを余儀なくされたり、場所は同じでも、状況は変わります。

これは、遠くにエンジンで行くという旅もありますが、近場だけれども、いつも状況が異なるという変化を味わえます。ヨットそのものの特性を味わう事になります。そうしたら、気持ちがこの変化にあるので、同じ場所でも、何度でも行けるかもしれません。むしろ、何度でも行った方が、その都度の変化を味わう事になります。

エンジンで行きますと、どうしても、目的地が主役になり、道中は軽ろんじられる。しかし、道中を重視すると、目的地はそれほど重きを置く事は無いかもしれません。それに近場ですから、気軽さもあります。何度でも行けます。

時間無制限で遠くに行くというのは大変ですが、数時間で行ける場所を選んで、セーリングオンリーと決めて行ってみてはどうでしょうか? 良いも悪いも、これがヨットなんだろうと思います。そして、これを何回もやりますと、各々の違いが出てきます。それがまた、ヨットならではの面白さかもしれません。もし、一度行って、面白くなかったとしても、それがヨットなんですね。でも、次はまた違います。変化は数時間のセーリングの中にもありますし、行く度に違うという事の中にもあります。

ヨットの特製? 面白い。面白くない。楽しい。楽しくない。楽、しんどい。全部がヨットです。という事はいちいち楽しいだの、つまらんだの考えずに、ただ味わってみたらどうでしょうか?結論としては、ヨットにはいろんな味わいがあるという事になります。そして、それらは、バカバカしい程、くだらないし、何の役にも立たない。でも、こんなバカバカしい事ができるのは、人間だけですね。

旅は遠くにいくだけでは無く、近場でもいろんな味わいを得る事ができる。でも、それらもみんなバカバカしい事であります。だから、面白い。役に立つ事は良いか、悪いか、効率的かどうかと評価されますが、バカバカしい事は評価しなくても良い。もともと役に立たないのですから。そうなれば、そのままを味わいとして、評価しない味わいとして、ただ味わう事ができるのではないでしょうか?

すると、どうなるか? 良いと悪いという、いつもの循環から抜け出せる。評価するからストレスが生まれる。評価しないなら、ストレスフリーかもしれません。もし、そうなら、バカバカしいどころか、すごく意義がある。いやいや、そう思うと悪循環に逆戻り。バカバカしいぐらいがちょうど良い。

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