第七話  濃縮

いろんな分野で格差という言葉を頻繁に耳にするようになりました。経済格差のみならず、例えば、生活の中で、アウトドア派とインドア派の格差、勉強する者しない者の格差、高級車と格安車の格差、兎に角あらゆる部分で格差が起こる。これは何も、それが良いとか悪いとか言うものでは無く、世の中の進行における濃縮という、当然の結果ではないかと思います。

ある物が始まる時、格差は無い。それがある程度普及してしまうと、今度は、そこにもっと良い物が供給され、或いは、あまり重要視しない人達も居て、そこには、安い物で良いという人達も出てくる。普及し、部分に枝分かれし、濃縮され、そして格差が生まれる。

いろいろ使いこんだ後は、それぞれも価値観において、求める方向も違ってくるし、濃縮度も違ってきます。どこを濃縮したいか?

ヨットは日本に定着し、濃縮してきたとは言いがたい。しかし、世界を見れば、そういう傾向があります。一般的なものから、ある特定部分に濃縮したものがあります。濃縮した分野では、その分野に価値観を求める人達にとっては、このうえない。しかし、そうで無い人にとっては面白く無い。

人間も濃縮しますね。一般的で、兎に角何でも平均的にこなせるもの。最初はそういう求め方になりますが、やがて、濃縮されると、ある特定分野を求めます。そこに高性能を求めます。世界のヨットは既に、そういう濃縮されたヨットがたくさんあります。

しかし、これら濃縮されたヨットは、人間側の濃縮が無いと、選択されません。進化とは、物の進化と、それを選ぶ側の進化がともにある。

進化が全て良いというわけでは無く、全てには、いろんな見方があります。最高の物は、見方を変えれば最低にもなる。良いか悪いかと判断するのは違うのかもしれません。どういう見方の場合において、良いか悪いかという事になりますね。判断はある条件を伴わなければなりません。

その条件は、自分の濃縮の方向性と濃縮度。そこから見たら、どれが最高なのか?面白いという次元で見るならば、濃縮していった方が面白い。その方向性は、無限にある。面白さを求めるという事は、濃縮度を高めるという事だと思いますね。

そして、それは理屈では無く、自分のフィーリングから生まれ出る。感じた事に、興味が注がれ、もっと深めて、もっと多くをと思う。すると、同じように走っても、今度は感性が異なるので、感じ方も違う。まずは、人間の感覚から、全ては始まるのではないかな。

同じスピードで走っても、ヨットによって、感じが違う。スピードだけを求めるなら、どうでも良い事ですが、フィーリングとなるとそうはいきません。場合によっては、スピードよりもフィーリングという事もある。だから、これは、自分の感性に聞いてみるしか無いという事になります。そして、いつも言いますが、セーリングはフィーリングを遊ぶ乗り物という事になります。だから、フィーリングが大事なのだと思う次第です。濃縮される、自分のフィーリング、これは進化。進化する限り、面白さは続きますね。

でも、物理的な問題も出てきます。それはヨットの進化を待つ事になります。シングルで最高のフィーリングを得られるヨット。それがデイセーラーだと思っています。ただ、最高のフィーリングというのも、いろいろあるわけで、そこが人間の複雑さ、面倒なところ。でも、面白いところでもありますね。だから、いろんなデイセーラーが、今後も開発されるでしょう。ずっと注目していきたいです。

デイセーラーの濃縮の方向性は、セーリング性能を高める事と同時に、その操作が容易である事の両立にあるかと思います。そしてもうひとつは、フィーリングです。安心感、安定感、滑らかさ、反応の良さ、誰が操作しても、高い性能を発揮できるという濃縮性。

それがもっと濃縮していくと、ある特定の技術を持たないと、性能を発揮できないというところまでいくんでしょうね。人間は結構そういうところまで行ってしまいます。でも、それこそが、マニアック。

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