第四十八話 観察者

ある結果を望んで行動を起こします。その結果が良かったか悪かったのか、うまく行ったのか失敗なのか?そういう風に考えますが、でも、ある結果が出たとしても、その後も続くというのが現実であります。あの島を目指して、クルージングに出る。あるレースで勝つ。そういう事も、その翌日もあるという事です。

時は流れ、流れて、死ぬまで続く。その過程のどこかに目標があり、達成があり、喜びがあり、悔しさもある。でも、それも続く。そこで終わらない。そういう見方は、事象を眺める観察者の目。いろんな事にチャレンジ、いろんな事に出会い、いろんな感情を得ながらも、クールに見る観察者こそが、最も楽しんでいるのかもしれません。何しろ、いい時も悪いときも楽しめるのは観察者のみではないかと思います。

観察者こそが、良いも悪いも、上も下も、右も左も、すべてを観察して、それらの味わいを堪能する事ができるのではなかろうか?その日の計画から何年にも渡る計画まで、どっぷり浸かってしまえば、その時の状況に右往左往する事になりますが、観察者はただ、その状況を、自分の対応を
ただ観察しながら、味わう。

勝つ事や負ける事は重大な要素ですが、観察者にとっては、どっちでも良いかもしれません。全ては長い時間の流れの一部であり、観察者は長い流れとして一部を見る。だから、気楽でありますね。

今はデイセーラー推進派、デイセーラーが絶対面白いと思っています。もっと、このコンセプトが広がった方が、みんな気楽に楽しめるのにと思ってます。でも、10年後は解らない。誰にもわかりません。観察者はそういう状況を見ながら、ただ流れを観察し、楽しんでもいる。まるで映画を見ているかのようです。でも、多分、きっと観察者は、いろんな流れに最も敏感に察知する事ができるのではないか、と思ったりもします。で、その観察者は、今はこれで行けと言ってます。

オーナーの高齢化やマリン業界の萎縮やら、10年後はどうなっているのか?という心配をされる向きもありますが、じゃあ、どうするのか? そのアイデアが浮かばない限り、できる事は何もないので、今できる事をする。観察者が、何かを察知するまではです。

そう考えますと、気楽であります。ヨットをどう運営していくか、できる事から始める。気楽にできます。できない事は考えない。観察者ならそういうかもしれません。

そこで今回のテーマは観察者になる事を意識してみてはどうでしょうか?自分とヨットとの関わりとか、状況、運営、それを第三者的観察者として見たらどうなるか?今後、どういう使い方をすれば、最もおもしろくなるか、そういう事が解るようになるかもしれません。

多分ですが、何をしても本当はそこに面白さを発見できるのかもしれません。しかしながら、問題は、違う所に心があるから、今していることに心が無いと、面白さが湧いて来ないのかもしれません。観察者はそれをお見通し。そして整理して、どうしたら良いかを解らせてくれる? のかもしれません。多分です。黙ってただ観察する。セーリング中は簡単にそれができる。

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