第四十話 右脳

フィーリングと言いますと、右脳という事になるのでしょうか。ちょっと前、右脳の開発とか、そういう言葉を頻繁に耳にしました。曖昧であり、どうも良く解りません。でも、セーリングにおいて、フィーリングが大事とか考えてきましたら、少し解るような気がします。

別に、右脳だ左脳だと考える必要は無いのでしょうが、多分、自分のフィーリングについての事だろうと思います。人間にフィーリングという感覚がある以上、それはどうなっているのか、と考えた人が居る。理屈は数学であらわす事ができるが、フィーリングをあらわすものさしが無い。

我々の生活は理屈で成り立つ部分と、感じがそのうえに乗っかています。それは、各人によって異なり、やっかいなものです。でも、物事は各人のフィーリングによって左右されます。そのフィーリングは曖昧だからこそ、解らないので、もっと分かり易い便利、快適をテーマに物が開発されます。

買う方も良く解らないので、便利、快適に食指が動く。そうやって発展してきました。そして、今日、我々は便利を享受できるようになりました。さて、これからどうしたもんか?このどうしたもんか?
と考えた人が、右脳について語るようになった?そうかもしれません。

セーリングはフィーリングが大事ですと何度も書いてきましたが、要は、自分のフィーリングがどこにあるのか?どうなってるのか?それを知る事は重要な気がします。細かいデータは抜きにして、見た瞬間、味わった瞬間、その時のすべてのデータを取り込んで、感じとして取り入れる。印象という事になります。それが好ましいとか、好ましくないとか、言います。

時代は、その便利さを乗り越えて、フィーリングの時代に入ってきた。便利がメインテーマだったのが、フィーリングがこれからのメインテーマになりはしないか?そんなフィーリングがします。理屈で解らない事は、自分のフィーリングに聴く。理論+フィーリング。

そこで、セーリング中に、自分の感覚にどんな事が起きているのか、そういう事を意識していましたら、自分のフィーリングを意識するという事が、普段の生活にも起こる事があります。昨日、ある店員、多分アルバイトなんでしょうが、いかにも不慣れで、もたもたしていまして、イラっとした。すると、自分が今イラっとしたなと気づきました。意識しました。これに気付かないとイライラして怒るかもしれません。でも、イラついた事を認識した事が重要なのでは?その時は、その店員が可愛い女性だったので、怒りませんでした。それも認識しました。

これはたいした事では無いと思いますが、こういう認識が全体に及ぶなら、もっと解る。すると、自分のフィーリングについて解るのではないか?これが、データ、理屈では解らない事を、自分にとってどうかという事を瞬間的に教えてくれるのではなかろうか?

ある話を聞いて、瞬間的にどう感じたかを認識する。理屈的には良い話。でも、本当に、自分にとってどうか?そういう判断の助けになるような?或いは、自分のフィーリングが、瞬間の動きがわかれば、何を求めているか、味わいたいかも解るような。正解か不正解かを問うのでは無く、自分に合うか合わないか?

本当のところは、どうかは解りません。しかし、物事の理論を超えた理解をするなら、フィーリングで判断するしか無い。そうならば、自分のフィーリングを観察するというのは、理論的ではなかろうかと思う次第です。セーリングはフィーリングを大事にします。 理屈を越えて、どんな感じがするか?その感じの変化を遊びます。普段の生活でも、自分の感じの変化を遊ぶ事ができるだろうか?それができれば、人生はゲームとして捉える事ができる。なるほど〜、そうかもしれません。
人生はゲームだと言った人が居る。その人は、そういう風に考えたのか?違うかも?

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