第五十三話  システム 

パワーボートとセーリングボートの違いは、システムの違いです。パワーボートは船体があって、キャビンがあって、エンジンで走るというシステム。ヨットは船体があって、キャビンがあって、セールで走るというシステムです。

両者のシステムの本質は走るという事にあると思います。まあ、浮かべておくだけでも楽しめない事は無いのですが、やはりエンジンを持つ、セールを持つという意味においては、動くというのがシステムの本質だろうと思います。

 

アレリオンとトゥルーノース、実は同じ造船所の別部門。何か、似た感じがしますね。我々はヨットを楽しむ、ボートを楽しむと思っていますが、本当はそのシステムを楽しんでいるわけで、動かさないで居るだけなら、どっちでも良い事になります。

システムを楽しむという事は、乗ってるだけでは楽しんでいるとは言えず、そのシステムを使い動かすところに本質がある。もちろん、動かすだけでは無く、動かして尚且つ楽しむ。特に、ヨットは操船は重要な意味を持ちます。操船する事そのものが面白さになります。それはセーリングというシステムを遊ぶ事になります。

システムというのは実体は無い。これがシステムですと見る事はできません。そこが実は難しい面がある。実体が無いだけに、常に変化します。状況が変わる。その状況によって、こっちの感じ方も変わる。ですから、いつも出たら同じという事にはなりません。いつも違う。そのいつも違うという部分を遊ぶというのが、ヨット、ボートの本質を遊ぶ事になると思います。

いつも違うのが当たり前で、違うところを見て、違う部分を味わい、違う部分を面白がる。それがボート遊び、ヨット遊び。いつも違うから、意図できないから、つまらないと思う事もあるでしょうが、違うから面白い事もある。いつも同じじゃないから面白い。いつも同じならつまらない。

つまり、変化を見て、変化を楽しむ。変化はいつもあるので、どれだけの変化を感じ取れるかは乗り手次第。微妙な変化から大きな変化まで、大きな変化は誰でも解る。でも、微妙な変化は気がつかない。という事は、我々側がどれだけ繊細に感じ取れるかかが、個々の差になります。その微妙な差が、長年の積み重なりで大きな差になっていくのかもしれません。

繊細であればある程、変化が解ります。いくら高性能でも、いつも快適であっても、いつも同じじゃ飽きてくる。大雑把になると飽きてくる。どれだけ変化を感じ取れるかが面白さのバロメーターになっても良いんじゃないかと思います。ですから、楽しむというのは、集中している時こそ味わえるものかもしれません。特に、楽しむからもっと進んで面白いという感覚はそうだろうと思います。遊ぶのも真剣です。それはゆったり走っていても、繊細な感覚が活きていれば同じ事。

感覚こそが最も重要かと思います。しかしながら、こういう感覚を味わおうと、ある特定の感じを計画する事はできません。行為は意図できますが、感覚は我々の意思では制御できない。意図せずに、良い感じであろうが、悪い感じであろうが。感じるものは感じるわけで、この最も重要な部分がコントロール下に無いというのはどうしたことか?

これはひょっとしたら、最も重要な部分かもしれません。感じというのは、我々の最終の究極的な目的であるはずが、それが意図できないとは?ある目標があって、それを達成した時、達成感はあっても、それ以外はどうなのかは解らない事になります。

食事をすると、おいしいかまずいかの感覚があって、どちらにしても満腹感はある。これと同じです。まずいものを食べて、満腹感を得るより、おいしく味わって満腹感を得た方が良いわけで、つまり、目標達成であっても、プロセスが大事という事になります。セーリングはプロセス、そのおいしいかまずいかを味わう事になります。鋭い感覚を持って、自分のおいしさがどこにあるかを見る。
それはヨットの性格に頼る事になります。

そして、もっと進むと、ただ、いかなる感覚をもそのまま味わう事に面白さを味わう事ができるようになるかもしれません。それは究極、弘法筆を選ばずという事になっていくのでしょうね?いかなる感覚にも、良い悪いの判断をしない感覚。でも、凡人である私にはそんな事できません。ですから、良いヨットというのは大事な事になります。そして、良い道具は、同じシステムの中でも、良い感じをもたらしてくれます。そのシステムの質は実体の無いもの。見る事はできません。それだけに難しい面もあります。でも、ここが大事なところではないかと思います。

人間というのは、実に曖昧で、確実性が無い存在。それだけに、システムの質に左右される。それだけに、自分の感覚を追って、追いまくって、突き破ると究極に達するのかもしれません。そうなると、もうシステムに左右されなくなる?でも、そこまで行くと、もはや行為は何でも良いという事になって、セーリングである必要も無くなるかも?何をしても楽しい?そんな事ができるかどうかは解りませんが?そこまでは行かないので、道具にはこだわってしまいます。その道具をも遊ぶという感じでしょうか?

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