第十六話 ギャンブル的思考

ヨット販売というのは、市場が小さい上に、デイセーラー市場はニッチと言えます。日本一の業者だって、毎日ヨットが売れるわけではありません。売れれば、数百万、数千万という単位になる代わり、売れなければゼロであります。そういう意味でギャンブル性が高いといえます。

しかし、ギャンブルも不思議な面があります。私はギャンブルはしませんが、いろいろ考えるところはあります。例えば、年間の販売等、こんなギャンブル性があるわけですから、大きな波があってしかるべきと思うのですが、確かに景気に左右される部分もありますが、極端に違う事がありません。不思議ではあります。極端な話、今年ゼロで、翌年100というのがあっても不思議では無いと思うのですが。毎年、多少の変動はありますが、年間トータルは極端に違う事はありません。

そして、日本中の年間の進水数も、徐々に変化はあるものの、毎年、同じ数値になっていきます。
オーナー同士が話し合って決めたわけでも無いのに、何故そうなるのか?

こういう事例以外でも、何でもそうですが、例えば、年間の交通事故件数もだいたい同じ。年間の自殺者は日本は30,000人と言われますが、何故か、こんな事まで、年間ベースで言えば同じになる。誰も示し合わせたわけでも無いのに。

あるこんな例もあります。犬に噛まれた人の数。こんな事はめったに無いし、周りを見渡しても、そんな話は殆ど聞いた事が無い。しかし、調査してみると年間ベースでは、毎年同じぐらいの件数があるそうです。

つまり、個々においては、いつ、どこで発生するかは解らないが、どこかであり、それがトータルしていくと、だいたい同じになるという不思議さがあります。これは、例えば、サイコロを振って、毎回何の目が出るかは解らないものの、回数を多く振れば、1から6の目がそれぞれ、だいたい同じ回数出てくるという事と共通していないか?個々は違うが全体は同じ。

日本のヨット市場で、新艇が年間100艇進水する。全体は同じで、その各艇はいつ、どこに進水するかは、サイコロの目と同じで、わからないものの、全体では100艇という数値になるそういう事を意味します。そんな事があるのか?実際にそうなっています。ヨット進水数以外でも、何でもすです。私の興味は、全体で100艇という意味よりも、個々がいつどこで進水するかです。

ギャンブルから確率という考え方が出てきたのではないかと思いますが、人口 X ある確率が個々の事例の全体を決める。内々に示し合わせようがしまいが。車の数によって、犬の数によって、ある確率という係数があって、それで決まるのかもしれません。そして、その係数が、好景気とか不景気とか、犬の場合だったら、また違う何かの要素で変化するのかもしれません。という事は、その係数、確率があれば全体では必然的に起こっている事になります。つまりは、全体は必然であると言えないでしょうか?

しかし、個々は、いつ、どこにというのは解らない。偶然であります。ここに確率は当てはめられません。でも、つい確率という考え方で対応しようとします。それしか方法が無いからです。サイコロの1から6までの目は、各6分の1の確率です。1回目に1が出た。2回目も1だったとしますと、3回目は?確率で言えば、1から6まで、いつも同じ6分の1の確率です。普通はまた1が出る可能性は低いと思い、確立は同じ6分の1なのですが、そう思い、違う目にかける。これが一般的な負けのパターンなのだそうです。それで、ギャンブラーはどうするかですが、また1にかけるそうです。もちん、これは絶対に勝つ方法ではありません。ただ、流れを見るそうです。1が出るという流れがある。1以外に賭けるのは、1以外の流れが出たと解ってからで良いという事だそうです。なる程。

確かに、日常的な出来事でも、流れがあります。個々がここで発生している理由は解らないものの、何らかの理由で発生し、それと似たような事が続く事が良くあります。ギャンブラー曰く、良い事が続いたら、もうそんなに良い事は続かないだろうと思うのが一般的で、素人、良い事が続く時は、その良い流れに乗って、その流れが変わるまでは乗り続ける。対処は流れが変わったと解ってからで良い。そういう事だそうです。おそらく鋭い観察力が必要なのだろうと思います。

世界に男女が居て、女の子ばかりの家庭もあるけれど、全体を見ればだいたい半分づつ。これは多分、確率の係数が変わらないので、いつの時代もそうなのかもしれません。でも、年間降雨量とか、年間の晴天の日数とかは、変わらないのだけれど、環境問題という係数が加わる為に徐々に変化していくのかもしれません。

という事は、現時点では、全体で何がどれだけ起こるかは、全て決まった必然といえる事になります。1月1日に、1年がスタートする。その時には、何がどれだけ発生するかが決まっているのかもしれません。その確率の係数が大きく変化でもしない限り、全体の発生件数も大きくは違わない。そして、それは、過去の事例を見れば、どれだけ発生するかが解る。解らないのは、個々がいつどこで発生するかです。それをギャンブラーは確率と流れで見る。

個々に発生する事の要因は何か?これが解りません。1回1回はランダムに出る。ですが、全体ではある決まった確立の係数によって、必然的な結果になる。全体が必然であるなら、個々も本当は必然ではないか?そうでないと、全体も決まった結果になる事は無いはず。ただ、その要因が我々には解らないだけです。

そこで、確率の問題です。
A,B,Cの箱があるとします。その中のどれかひとつに賞品があるとします。どれを選ぶかですが、例えば、最初にAを選んだとします。すると、この答えを知っている人が、残りのBとCから、入っていないCの箱を撤去しました。さて、Aのままで良いですか、それとも答えをBに変えますか?という問題です。確率が高いのはどっちでしょう?

今の日本では、デイセーラーが売れる確率は低い。この確率を高める方法は何でしょうか?全体の係数を変えるなんて事は簡単にはできない。そこで、全体の流れを変える事はできないかという事です。例えば、全体で100艇進水するという係数を変える事は簡単にはできませんが、その内容の流れがデイセーラーに向かわせる事はできないか、という事です。まあ、それが宣伝広告という事になるのでしょうが、それによっては全体は同じでも、内容が変わるかもしれません。流れを創るという事です。個々の発生をデイセーラーの方に向かう流れを創るという事です。

ギャンブラーが流れを大事にするように、我々個々の周りに起こる流れを大事にする。良く注意して、観察して、流れ発見する。さらに、もっと積極的にその流れを創る事はできないか?むやみやたらに何かを計画しても、うまくいかない。それはこれまで随分経験してきました。それが流れに合っていなかったせいではないか?しかし、言葉で言うのは簡単ですが、実際は相当難しい。流れを見るなんてどうしたら良いのか?

実は、ひとつのヒントがあります。前から随分書いてきた事ですが、セーリング中に、周りの変化と同時に、自分が何を感じているかを意識する。こういう事を書いてきました。すると、周りの変化と自分との関係が解ってくる。ここにヒントがあるのではないか?出来事は単なる出来事で、自分との関係があってこそ意味がある。風がふいているだけでは、そこには何の意味も無いが、自分がそこでセーリングしているからこそ意味が出てくる。結局、事象と自分の関係こそが流れであり、そこを観察する?そういう習慣で、流れというものが、ひょっとしたら解ってくるのかもしれません。

何の理由も無く、根拠も無く、こうなると思ってしまう事、感じてしまう事は無いでしょううか?、後で、そうだと思ったよ、という言葉は聞きます。でも、案外、それはそういう流れを自然に感じたのではないか、そして案の定、そうなったのではないでしょうか。観察力、感じる力、そういうのに長けてきますと、ひょっとしたら、もっといろんな事が解るかもしれません? ?マーク付きですが。

本当はみんなそういう能力があるのかもしれません。意識していないだけかもしれません。ところが、そういう事には根拠が無い為に、科学の世界で言うなら、意味を証明しきれない。ですから、軽んじられてきた。頭脳を使って、理論的に説明されるものこそが価値がある。そうしないと、整理がつきません。評価もできない。でも、本当は忘れてきたものがある。科学は、この全体の必然性と、個々の偶然性をどう説明するんでしょうか?実に興味があります。

流れを意識し始めると、どうなるでしょうか? 確率と流れ、ギャンブラー的思考は、何か面白さを感じます。セーリング中も良い感じなら、そのまま続けます。でも、何か良い感じが得られないのなら、何か操作して変える、方向さえ変えるかもしれません。それと同じように、事象と自分のフィーリングを観察しながら、良い流れには乗る、悪い流れが感じられるなら、何かを変える。そういう事で、何かうまくいかないか?デイセーラーがもっと売れるようにならないか?全ては自分と個々、自分と全体の関係で事が進んでいるような?個々の必然性は自分の中にあるような気もしないではありません。

さて、確率の問題の答えは、最初の答えAからBに変えるが正解です。この考え方は、A,B,Cの三つの箱がある時、確率はそれぞれ3分の1づつです。1個を選べば、残り2個のどちらかが当たっている確立の方が高い事になります。BとC、それぞれ3分の1づつの確率ですから、B又はCに入っている確率は3分の2になります。最初に選んだAという箱には 当たりの確率は3分の1ですから、3分の2であるB又はCの方が確率の方が高い。Aは、はずれの確率が高いという事になります。そこで、Cという箱が取り除かれたわけですから、AとB、どちらも2分の1づつの確率のようですが、実は確率としてはBの方が高いという事になります。Bの方が3分の2の確率があると考えた方が良い。確率で言えば、これが正解。但し、現実には流れがあるという事も考慮しなければなりません。実に不思議で、何かそのあたりが面白そうです。

デイセーリングの流れを創る事、それが私の最も関心事であります。

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