第4話 直感について

何かを見たり、聞いたりした瞬間、これだと思った事はないでしょうか。或いは、
これは面白い、やってみたい、などと思う、いや感じる事があります。しかし、次
の瞬間、でもまてよ、俺にできるかな?、難しそうだな、などと否定的な意識が
浮かんでくる。そして、やるかやらないを迷って、こういう時はたいていやらない。

これだと感じたのは直感、この時はプラスを見て、次に理性が働いてマイナスを
見る。こう思うと理性というのは良い事のようで、意外と自分自身の足を引っ張る
役目をしている。そして、やっかいな事に、それが冷静な大人の判断と持ち上げ
る傾向にある。理性は社会生活を営むには必要な道具ではある。しかし、自分
自分自身である為には邪魔となる事もある。理性は常識、私は常識では無く、個
性である。しかし、理性はたいてい勝つ。これが常識人と言われる。     

人と関わるには理性が必要ですが、自分自身の無い理性は面白みが無い。自
分の遊びには、まず、個性を持ってきましょう。何を、どうやるかは理性では無く
感を大切にして、面白いと思った事はどんどんやる。ヨットが面白そうだと感じたら
即、やるべきです。既にヨットをやっている人は、こうしたい、ああしたい、こういう
ヨット、ああいうヨットと感じたら、それをやってみるべきです。冷静に考えだしたら
きっとやめるべき理由がたくさん出てきます。理性は分析し、判断する。全ては過
去の経験からくる。しかし、過去の経験なんて、無数にあった選択のたったひとつ
でしかないんです。それに多くは、自分の経験では無く、よそから入った情報に過
ぎない。全部解っているようで、本当は殆ど解っていない。

仮にやってみて、これは俺のやる事じゃ無いなと思ったら、やめれば良い。誰に
迷惑かけるじゃ無し。でも、理性を抑えつけた事実は残る。こういう事を続けてい
けば、いつかピタッとくるものにぶちあたるのではないでしょうか。理性だけでは
おそらく永久にそういう事は無いのではないでしょうか。ここには個性がある。

今や、高度成長時代は終わって、ひたすら発展する事を目標にしてきた時代から
自分自身の生き方を自分で見つける時代。発展の為に自分の全てをささげてきた
時代から、今度は自分自身を活かす時代。そういう時代に過去の集積である理性
では新しい物は発見できない。新しい自分は感で見つけるしかなさそうです。

レースするわけでもないのにレーサーに乗ったらいけないか?大型艇にシングル
で乗ったらいけないか?小型ヨットは楽しくないのか?他人の言う定義は脇におい
て、できるだけ何も考えないでヨットを見る。というのはどうでしょう。そしたら、、これ
面白そう、というのが出てくるかもしれません。やれ、大人数乗ったときとか、遠くへ
とか、日本一周とか海外へとか、ジェノアとかメインとかファーラーとかスピンとか、
そういう事は置いといて、これしてみたい、面白そうと感じた時、その実行を可能に
する手段、容易にする方法を考えていくと、一番自分にあった乗り方がわかるような
気がします。そこに個性があり、新しい発見がある。遊びですから、こういう具合が丁
度良い。

こうしたいと決まったら、できる方法を考える。その結果、ジブファーラーができ、メイン
ファーラーができ、オートパイロットや機器ができる。ジェネカーができて、ファーリング
ジェネカーができる。大型艇をシングルハンドで可能にし、新しい物が次々にできる。
これってやっぱり発展ですよね。理性で新しい物はできない。画期的な発見は感が
もたらすのではないでしょうか。理性は単なんる補助的な物のようです。

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