第八十四話 レース

セーリングにおけるレースというのは、他のスポーツにおける試合という事で、最も解りやすい、面白いゲームでもあります。でも、残念な事は、他のスポーツ競技のように、同じ条件とは行かない事です。いくらレーティングがあるとは言っても、やはり違うヨット同士の競技ですから、完全に公平とは行きません。大きなヨットと小さなヨットが一緒に走る。レーサー艇とクルージング艇が一緒に走る。公平なら、クルージング艇が勝つ事だってあるわけですが、実際はそんな事はありません。
また、そうなったりしますとレーサーの進化も無くなるのかもしれません。これが他のスポーツ競技とは違うところです。

それで公平にしようとしたのが、全く同じモデルのヨットで競争する事なのですが、いかんせん、日本には同じヨットが少ないので、まあ、せいぜいJ24でしょうか。こうなりますと、腕の差のみ?

試合の合間に、時々練習試合なんかして、それも楽しさのひとつなのですが、ヨットではこういう事もあまり行われていないようです。

セーリングはスポーツなのですが、いまひとつ、他のスポーツとは様相が異なります。ヨットのどういう使い方が最も我々一般に適しているのか?メジャーな使い方としては、どういうのが良いのか?今のところ、クルージングとなるのでしょうが、それにしても、クルージング艇はたくさんあるにしても、そうそうは動いていない。ならば、クルージングというだけで、一般的とは言いがたい気もします。それで、セーリングはどうか、という事でセーリング、セーリングを繰りかえしてきました。これもまだまだなのですが、もし、小さなヨットが多くなるならば、デイセーリングは最も気軽な遊びとして、多くの方々に親しんで頂けるのではないかと思っています。

キャビンが無いような小さなヨットにしても、2〜3時間のセーリングに、キャビンが必要なのか?つまり、これはヨットに対する意識の違いで、セーリングを遊ぶならば、無くても良いようなもの、でも、ヨットを特別視して、何かに祭りあげる事によって、たいそうに考えるから、やっぱりキャビンがほしくなる。キャビン無しでは割り切れない。そこが、まだまだに日本にはヨットという遊びが定着していない証であるような気がします。

もちろん、キャビンがあれば、違う事もできます。しかし、もっと気楽に考えれば、無くても遊べないわけじゃないし、セーリングの醍醐味としてはむしろ面白いかもしれないし、簡単にひとりでも出す事ができる。

車もバイクも自転車も無い時代に、もし、キャンピングカーが出てきたとしたら、やはり車にはキャビンが必要だと思うかもしれません。でも、車は浸透していますから、通常の車やバイクや自転車等も、どっちが良いという比較はせずに、それぞれに良さがあり、それが浸透しています。使い方が違う、感じが違う、面白さが違う。それがみんな解っているわけです。でも、ヨットに関しては、まだまだ、キャンピングカー一辺倒という事ができるかもしれません。ですから、これには時間がかかるのだろうと思いますが、浸透していきますと、きっと、なかには、遠くへクルージングなんか行かないから、これで良いとか、小さい方が簡単に動かせるから、自転車感覚で、これが良いとか、そういう使い方、考え方のバリエーションが出てくるようになると思います。そうなってきた時、ヨットは日本に定着してきたな、と言えるのかもしれません。

浸透してくれば、レースにしても、同じモデルでのレースなんか、もっとできるようになるでしょうし、オーナー同士が話し合って、今度の日曜に一緒に走ろうか、なんて事もでてくる。そうすると、現在のレースのように、主催があって、ブイを打ってとか、そういう必要が無くなって、もっと気軽なレースも増えていくのではないか?そんな気がします。

野球も、テニスも、サッカーも、みんなある団体主催の試合だけをやっているわけでは無く、自分達で、勝手に、試合なんかやってるわけです。個人と個人なら、もっと気楽にやってます。今度、一緒に走ろうか?この掛け言葉こそが、大事なのではないかと思います。

海外で聞いた話、自分はこうだから、このヨットで良い、とか、非常に割り切っています。ですから、無駄に何かを求めない。これはヨットというものを、何ら特別な乗り物とは思っていないからではないかと思います。日本も早くそうなると、より多くの方々がもっと気軽にヨットを楽しむ事ができるのではないかと思うのですが。

レースは時折の楽しみとしてのイベントであります。そして、クルージングも同様です。近場の日帰りクルージングもできますが、それでは同じ場所に何度も行く事になります。クルージングが外の変化を楽しむものなら、同じ場所ばかりでは飽きもする。という事はどちらも、たまのイベントとしての楽しみになります。ならば、セーリングはどうか?これは外では無く、自分の内側の変化になると思います。自分の進化向上が主体になるなら、知識が増えたり、腕が上がったり、観察力が強化されたり、感じる力が増えたりします。それは外側の変化というより、内側の変化主体になり、自分次第ではその変化をいつでも楽しむ事ができるのではないかと思います。

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