第百話 さらりと遊ぶ

食事をすれば好みがありますから、うまい、まずい、とか判断します。映画を見ても、面白い、つまらない。何にしても、うまい、まずい、面白い、つまらない、退屈、エキサイティング、美しい、汚い、良い、悪い。ありとあらゆる評価をするのが常であります。それが人だろうと思います。ですから、ヨットにしても、面白いか面白くないかと評価します。

それで、もっとうまくなって、効率の良いセーリングを目指し、もっともっと上手になりたいと思います。しかし、あらゆる評価は、プラスとマイナスが存在し、自分の基準から上が良し、下が悪いという評価になります。セーリングをどんどん追及していって、確かにうまくなって、自分の基準がどんどん上に上がるわけです。でも、やっぱり、そこを基準に良いと悪いが存在します。考えてみたら、これは永遠に続く事になります。

もちろん、うまい人が感じるセーリングと下手な人が感じるセーリングは違うでしょう。でも、どちらも、良いと悪いを持ちます。味わてっている世界は違うけれども、やっぱり、自分を基準に上下がある。そう考えますと、うまくなるという事はどういう事なのか?

ひとつは、下手な時には下手なりに面白さも味わう事ができます。うまい人も同様です。でも、下手な人の味わいと上手な人の味わいは違う。どちらが面白さをより多く感じるかは別な事で、味わいは確かに違う。違うのはそれだけかもしれません。もっともっとうまくなったら、味わう世界は違いますが、やはりそこにも上下がある。

つまり、うまくなる事で違う世界を味わう事ができる。我々のできる事はこれだろうと思います。良いか悪いかの問題では無く。より多くの世界を持つ事ができる。それだけです。それだけとは言いながら、それもすごい事ではあります。

でも、本当に味わうというのは、そういう評価では無く、今日の風を遊んでくる。それが弱い風だろうが、強い風だろうが、一切の評価をせずにさらりと味わってくるという事なのかもしれません。良いと悪いの評価が無いので、どんなでもそれなりの楽しみ方ができるのかもしれません。どうも、達人の世界のような。競争するわけでも無く、ただ味わってくる。そういう心境はどんなものでしょうか? まだそこまで達していませんので、想像でしかありませんが、きっと落ち着いた感じで、そのままを深く味わい、うまいとか下手とか気にせず、そのフィーリングに浸るというような感じかなと思います。ストレスなんか当然発生しない。

ところが、そこに至るには、きっと一旦は追及するという道をたどる必要があるのだろうと思います。世界をもっと味わって、いろんなフィーリングを持ち、その挙句の果てに、ひたすら味わうだけの世界に到達できるような気がします。これは、そうなるとつまらない事でしょうか?より良く、より速く、より便利に、より何とかを求めてもキリがありません。どこのポイントに居ようと、上下がある。そこを突き抜けた時、また別の世界に入り、その時々の深い味わいを得る事ができるようになるのかもしれません。そうなると、セーリングは遊びであり、休息でもあり、生きる世界でもある。面白いか、面白くないかという評価さえ無意味であるかもしれません。これが良いのかどうかは解りませんが、ただ、そこに至る事ができるのであれば、上下の無い、良いと悪いの無い、対極の無い遊び、味わいがあるような気がします。全てが一体となる。セーリングの極意、達人の世界のような気がします。
でも、そこに至る事ができるなら、きっと楽に、これこそ本当に楽に、さらりと遊ぶ事ができるのではないかと想像します。きっと全てが素晴らしく感じられるのではないかとも思えます。

本当はここに至るに、腕前はあまり関係ないかもしれません。でも、ある程度追及していかないと、そういう境地には至らないのも本当かなという気もします。過去を見れば、昔はこのように考えてきた事が、今では違う事が常識になり、今、ある事に固執する事が、何年も経てば、全くたいした事ではなかったと思えたり、常に変化しています。そういう意味では、何にもこだわらない方が良いのかもしれません。しかし、どういうわけか、一旦はこだわり抜かないとそういうところには達しえないような気もします。どんどんスピードを上げて、ひたすら走る。それがいつかは、そうこうしているうちに突き抜けていくのかな?と思います。

いつか、最後には、微風も良し、強風も良し、雨も波も雪も良しという心境になれたら、そんな心境も味わってみたいもんです。さらりと遊びたい。でも、やっぱり、生きている限りは、これが好き、これが美しいとか、言うんですね。でも、現段階ではこだわって、こだわって、こだわり抜いて良いと思っています。そのこだわりを通り過ぎないと、さらりと遊ぶなんて事はできないような気もします。
こだわり抜いて、あれが良い、これが良いと思い、また何年か経ったら、違うこだわりが出てきて、こだわりも移ろいでいく。永遠に。そこで、ある何かに気がついて、一切のこだわりが無くなった時に、さらりと遊べるようになるのなか?最後には、そんな心境も味わってみたいもんです。でも、そこまで行きますと、きっと楽に操船していながら、速いという事になると思います。無駄な動きも無い。やっぱり達人の世界かな?他のヨットに追い抜かれても、何も気にしない。でも、誰も抜く事ができないのかもしれません。

最初はこだわらずには面白さが無い。ですから、自分の感性に従ってこだわります。それが面白い。で、次には、こだわらないでも遊べるようになる。最初からこだわらないのは、たいして遊べないか、最初から達人の境地を持った人か?

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