第九十一話 ゲーム感覚

遊ぶと言いましても、ゲームをする感覚は少し違います。単なる遊びには、楽な事が入り込んできそうな気がしますが、ゲームと言いますと、ルールがあって、そのルールでやるゲームだからこそ面白くなります。つまり、ヨットに楽さだけを求めてしまいますと、ちょっと時化たりしますと、何か嫌な感じがつきまといますが、ゲームをしているんだと思いますと、どうやってそれを乗り越えるかとか、楽だけを求めていなかったり、何かニュアンスが違うし、心の準備も違ってくると思います。

特にセーリングはと言いますと、遊びなら、快適、爽やか、そういう良い部分のみを追うような感じですが、ゲームになりますと、さて、今日はどんなセーリングができるのか?と思えるような気がします。つまり、セーリングを面白くするには、このゲーム感覚が必要なのではないでしょうか?その方が面白くなるような気がします。

ゲームは何でも揃える必要も無く、今ある物を使って、どういうセーリングができるか、それがルールになると思います。それは例えば、野球で3ストライクで三振ですが、それがルールですから、4ストライクまであれあ良いのにとは誰も思いません。それと同じで、セーリング中はあれがあれば良かったとは思わず、今あるのがルールですから、そのルール内でどこまでできるか?それを遊ぶという事になり、セーリング終了後に、今度はあれを設置しようとか、そうしたら、もっとこういう遊び方ができるとか、そうやって新しいルールを作る事もできます。

コクピットドジャーが無いなら、それがルールですから、嫌と思わず、セーリング中はそのルールで、スプレーを浴びたら、それを面白がる事もできなくは無い事です。ビミニトップが無ければ、真夏の炎天下は暑いです。でも、無ければそのルールでやるしかありません。でも、まあ、真夏はオフシーズンと割り切る方が良い。

オートパイロットが無いとか、計器が無いとか、いろいろなルールがありますから、今のセーリングはこのルールに従う。それをゲームとして遊ぶ、楽しむ。もっと速いヨット、もっとこうなら良いというのが常に出てきますが、今は今のルールに従って、それで、いかに遊べるかを考えた方が楽しめる。そのうち、そういういろんな工夫が湧いてきたりしますと、それが面白くなったりもするかもしれません。オートパイロットが無い為に、大変だと思う手もありますが、無いから、こうやって、こうしたら何とかなるとか、昔はこんなもん無かったわけですし。そういうゲームもゲーム感覚を携える事によって、可能になるし、面白くもなる。

まあ、それでも、と思う時は、次回に、今日のセーリング中では無く、次回に設置を考える。しかしながら、そのヨットが持つ性能、スタビリティーや走りの特性などは変える事はなかなかできませんから、それはそのヨットに乗る限り続くルールですから、そのルールを嫌うよりは、そのルールに従い、いかにその中でも最高を引き出す方法を考えた方が、面白そうです。

のんびりクルージングはゲーム感覚では無いかもしれません。でも、ひとたびセーリングに入れば、そこにはルールに従って、最高のゲームをしようという感覚、ゲーム感覚をいかに創りだせるかにかかっているのではないか、という気がします。それができれば、セーリングは何倍にも面白くなるのではないでしょうか?

セーリングはただ乗っているだけではありません。セーリングにはインテリジェンスを感じます。肉体的な労力もありますが、それ以上に、頭脳や感性の動きが感じられます。それが難しくもし、面白くもする。考えてみれば、ジブシートとメインシートだけでセーリングはできる。でも、そこにバックステーアジャスターを使ったり、カニンガムを使ったり、バングを使ったり、トラベラーを移動させたり、しなくてもセーリングできるにも拘わらず、そういう事をするというのは、それがゲームとして、面白くする要素であるからだと思います。ゲームをするか、しないかは自由ですが、これも使い分けで、TPOで対応する。デイセーリングはゲーム感覚が面白いと思います。

ゲーム性は、やればやる程複雑さが見えてくる。だからこそ面白い。自分のインテリジェンスを刺激します。どこまでやるかにもよりますし、それも自由な選択になります。でも、これが無いと単純なセーリング、それはまたTPOですが、ゲームを楽しむ感覚は面白さの源泉では無いでしょうか?
楽しさはゲームで無くても、その日の天候が良い条件なら、それに誰と乗るかによって決まってきますが、面白さは自分次第で、どこまでも面白くする事ができるのではないでしょうか?

だから、デイセーリングにはゲーム感覚で望むのが良いと思います。

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