第七十三話 感覚判断

テレビをみていて、ある人が出した意見に、一瞬ですが、違和感を感じました。そして次の瞬間、なる程、それももっともだと説得されていました。終わって、その事を考えますと、一瞬の違和感は何だったのか、そしてよくよく考えますと、やっぱり変だ。意見は間違ってはい無い。しかし、何か違う。その事を一瞬のうちに、違和感として感じたのではないか?

頭で考え出せば、なるほど、最もなご意見です。という事になるのですが。それでこう考えました。間違った意見というのは、そうあるものでは無い。みんな正しい。でも、どの立場から見るかによって違ってきます。その立場は、自分の置かれた立場、頭では無く、それは感じとして解る。頭が働き出せば、常識とか規範とか、いろんな事を考慮しはじめ、正しいとされる意見に説得されてしまう。でも、いろんな立場から見た意見があり、自分にとって正しいのは、自分が何者であるかから発せられる。本当は自分が何者であるのかは、知っているのではないか?頭では無く、感覚が知っているのではないか?それが最初の違和感として発せられたのではないか?

でも、次の瞬間にすぐに頭が動いて、その意見の正しさに説得されてしまう。でも、正しい意見というのは、たくさんあって、みんな正しいからこれも困ってしまいます。正しさがひとつで、後は、みんな間違っているなら、事は簡単なのですが。ならば、自分の正しさはきちんと持つ。それは頭脳では無く、感覚的に解るのかもしれません。

セーリングをしながら、何を感じているかと何度も書いてきました。それが日常生活にも及ぶ時、まだわずかではありますが、時折、理屈では無く、ピンと来るとか、駄目とか、OKとか、感じとして出てくる事があります。ひょっとしたら、感覚は自分の事を良く知っていて、その感覚を少しですが重視してきたせいで、そんな感じを掴めるのではないか、と最近少し思っています。自分の正しさが解る。正しさはたくさんあるわけですから、この場合は、自分の正しさです。少なくとも個人的な選択をする場合、自分にかかわりがある場合は、自分の正しさは重要だろうと思います。世間の常識などに惑わされる事無く、自分に完璧にフィットする。今のところ、これは正しい判断だと思っています。

ヨットを見ても、これはなかなか良いと一瞬感じたとしても、その次の瞬間に働く頭が、別の意見を出してくる。常識という意見です。一般論とかです。通常は、それに落ち着いてしまいます。でも、感覚を重視したセーリングのおかげだろうと思いますが、今は、瞬間的な感じを重視しています。そうしますと、迷いも少ない。それに、今のところ正しいと思えます。

考えたらいけません。感じる事が大事。そういえば、昔ブルースリーが、映画の中で言ってましたね、考えるな、感じろと。それと同じかどうかは解りませんが、感じは侮れないと思います。選択の判断は感覚に従い、その選択後の行動、どうやって運営するか、そういうものは頭脳を使う。それが良いのではないかと思っています。でも、気をつけないと、知らない間に考えて判断してます。
最初は良い、これだと思ったにも拘わらず、次の瞬間、何人乗れるのかな?と考えます。これが間違いの元ではないか?

これが正しいかどうかは解りません。責任は取れません。でも、実際、セーリングして、感覚を意識して、何度も乗られる事をお奨めします。何度も、何度も乗って、そして、普段の生活でも、何を感じているかを意識しだすと、そういう最初のピンと来るものが育つような気がします。もし、それが本当に正しいとしたら、そして、あらゆる場面で、それが出てくるとしたら、もはや迷いとはおさらば、選択は自由に、自動的に、最良の選択ができる事になりますね。

デイセーリングにピンと来たら、その後、頭脳はセーリングにおけるトリミングや、ヨットの運営やらを考える。そういう分業ができれば、きっと楽しくなるのではないかと思う次第です。それで、いつでもピンと来るのかと言いますと、来る時、来ない時があります。来ないと頭で考えますから、迷います。という事で、もっと感覚を大事にした方が良いと、最近は感じてます。 ですから、今まで散々、感覚という言葉を使ってきました。テレビを見ていたお陰で、それが明確にピンと来て、その事を書いた次第です。ヨットというのは、本当に感性を育てるには最高ではないかと思います。

そう言えば、2,3年前ですか、あるお父さんが息子が登校拒否とかで悩んでおられた。それで、いろんな体験をさせようと、旅行に連れて行ったり、いろんな事をしたが全く駄目。それで、今度はヨットに乗せたらどうかという事になって、それで、一緒に乗ったわけですが、どういうわけか、その子はやがて学校に通い出し、高校ではヨット部にはいったそうです。自然の力か、ヨットの力か、他の遊びと違って、知的でもあり、感覚的でもあり、それも自然相手ですから、使い方によっては、かなり何かのパワーが潜んでいるような?がんじがらめの人の心を動かす何かがありそうな気がします。それには、多分ですが、頭も使うが、感覚も使う。そこにあるような?おしゃべりをやめて、じっと観察する時、感性が磨かれるような気がします。大袈裟でしょうか?


人間にとって頭脳は大事ですが、同時に、同じくらい感性も重要なのだろうと思います。それを一部の芸術家と称する人達以外は、あまり重要視してこなかった。それが間違いの始まりかもしれません。感性を磨くというのは、勉強するのと同じくらい重要かもしれません。それは、遊びによって磨かれるのかもしれません。

そう感じていますので、もっとセーリングにはフィーリングをと、セールフィーリングをと何度も言ってきました。どうぞ、お試し下さい。但し、何度も乗らないといけませんが。セーリングの力は、こんなところにも影響を与える。多分?

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