第六十六話 選択

良い物は高い。もう、これは常識です。高度に発達した資本主義社会、競争社会、それに加えて、情報も発達しています。という事は、これらが成す競争と情報によって、価格と品質がつりあわない物は、もはや存在できない。それが存在し、しかも続いているという事は、その品質と価格が認められているという事かと思います。価格は勝手に自由に付けられますが、つりあわない価格は認められないので、続かない事になります。しかも、情報は世界規模で回りますから。

こういう社会システムは、品質の向上におおいに寄与していますが、一方で弊害となるのが、競争激化による弊害、中国産の食品とか、日本国内でもそういう事件がおきています。これは競争社会がもたらす負の遺産という事になります。

ヨットにおいても、そういうマイナス要素もあります。競争激化の中にあって、どこまで品質を維持していけるか、各造船所の悩むところでしょう。一方で、こういう激化する競争を避け、独自の路線で品質を高めている造船所もあります。当然ながら、こういうヨットは高価です。でも、そういう造船所は世界にたくさんあり、小規模として建造を続けています。

造船所が建造するヨットの品質について、好き嫌いは別にしても、価格を見ればだいたいの想像はできます。そしてそれは年間の建造艇数にも比例しています。という事は、ざっくばらんに言えば
だいたい同じような価格帯のヨットを集めて、そこから好きな艇を一艇選ぶというやり方で、大きくはずれる事は無いという事になります。

量産艇から、もっと帆走性能をとかもっと堅いハルをとか、もっと外洋性をとなりますと、その分高価になっていきます。同じコンセプト、同じ価格帯、そういう事で、集めれば、その中から好きなヨットを選ぶ。そうすれば、細かい、難しい知識は無くても間違わない。

間違うのは、自分の求める方側です。何がしたいのか、何を求めるのか、それが明確であればある程、自分の正解に近づく事ができますが、それが解ら無いと判断しようがありません。あれも、これもというのは人情ですが、その中でも最も望む物は何か?優先順位はどうなるかです。優先順位をつけますと、下位に来る物は、諦めるわけではありませんが、多少は妥協しなければなりません。

そこで、一般的に考えられるのが、旅かセーリングかです。レースしたい人はだいたい明確ですから、クルージングとしたとしても、セーリングか旅かになります。旅にしても、沿岸の近場、沿岸の日本一周、岸から遠く離れて、外洋の旅に出るのか?それによって、異なります。セーリングについても、一人なのか、或いは何人かで出るのか、優先順位は落ちても、近場の沿岸クルージングぐらいは行くのか?こうやって具体的に考えれば、だいたいの好みは明確になっていくと思います。

ヨットは妥協の産物です。旅の要素が良くなれば、セーリング性能が落ち、セーリング性能が良くなれば、旅の要素は落ちる。両方求めれば、価格は高くなる。妥協の産物であるが故に、何を求めているかを明確にする事は、その後のヨットライフの質に影響していきます。

残念ながら、ヨット経験の無い方がセーリングを想像する事は難しい。でも、旅なら何とか想像ができそうです。それでクルージングというジャンルが殆どという事になります。当社としては、セーリングこそが最も面白いという優先順位をつけておりますので、何とか、セーリングの感覚をお伝えできないかといつも考えますが、文章ではなかなかです。キャンピングカーとスポーツカーという例えを使ったり、セーリングはヨットでしか味わえないと言ったり、しびれるようなセーリング感覚という事もあります。それでも伝わらないのは百も承知なのですが、皆さん、そういうヨットに乗られる方は、乗らなきゃ解らんだろうな、と言われます。それでも、何とかと考えて書いているのが、このTALKの主旨であります。

最近では、大きなキャビンがあっても、殆ど使わないという方の発言を良く耳にします。それなら、セーリングをもっと考え直してみませんか?と申し上げます。これまではセーリングと言えばレース、しかし、レースにこだわる必要はありません。セーリングそのものをスポーツカーを操るように操船して、その感じに重点を置いて帆走を楽しむ。スポーツカーの見た目の美しさとその走り、ヨットも美しいヨットで、その走りを楽しむ。ヨットが車のように、ある点から、ある点への移動として使うので無い限り、セーリング優先の方がはるかにヨットライフは面白いものになると思います。ロングの旅で無い限り、ヨットがキャンピングカー的である必要性は、殆ど無いのではと思います。

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