第三十五話 たかがセーリング

常にベストを目指してセンチ単位のトリミングをする。それもセーリングですし、あまり大雑把でも困りますが、まあそこまでは、というセーリングもあります。センチ単位のトリミングをしても、大きく変わる事は無いわけで、かなり微妙な部分という事になります。

たかがセーリング、ベストに持っていけたとしても、たいした差は無い。それでもやるのは、そこに繊細な動きがあるからでは無く、自分の感覚が繊細さを好むからでしょう。スピードという結果を求めたとしたら、たいした差は無いわけですが、自分の鋭くなった感覚、集中している感覚を満足させる為なら、事は大きいのかもしれません。

結局はセーリングは、いかに自分の感覚を反映させるかにかかっている。スピードが結果なら、結果だけを求めてもたいした差は無いわけですが、自分の感覚、気分、集中している時、疲れている時、のんびりしたい時、いろんな気分があありますから、その時々の気分において、そこに合わせるセーリングで充分かと思います。という事は、常にベストの結果を出す事に頑張る必要も無く、大事な事は自分のその時の気分次第。

ヨットはそんないろんな気分の時に、それなりに反応してくれるヨットでありますと、なかなか良いなという事になります。気分が乗って、走りたい時にも繊細な調整に対しても反応してくれるヨット、或いは、のんびりしたい時、いろんな気分があり、それにいろいろ反応してくれるヨットは有難い。のんびりしたい時に面倒な操作が必要だったり、いろんな条件を満たさなければならない時は、これまた面白く無い。簡単に操作が出来て、しかも、しようと思えばいろんな操作が出来て、それに反応してくれて、それでいて、楽しようと思えばそれも出来る。そういうヨットは有難いと思います。

考えようによっては、たかがセーリング。ヨットにとってセーリングは主役ですが、自分にとっては気分が主役です。その日の気分によって走り方が違っても良いわけで、どのような時にでも自由に対応できれば、それがベストかと思います。

次へ       目次へ