第十一話 デイセーリング U

デイセーリングはスポーツであります。スポーツは遊びであります。そこから何らかの利益を得るようになったら、それはスポーツでは無いし遊びでも無い。利害の無い行為、それは遊びだろうと思います。スポーツは頭を使うスポーツ、チェスなんかもスポーツとか言われます。釣りも得た魚をリリースしたりする時、スポーツとか言われます。スポーツとは、頭や体を使って行う遊び、それも向上、進化を求める遊びをスポーツと言うのではないかと思います。そこに進化向上が無ければ、ただの暇つぶしかもしれません。

進化向上を促す典型的な例は、勝負にあります。どうやって勝つかを考えた時、必ず向上が生まれる。ですから、多くのスポーツは勝負の世界です。野球、テニス、サッカー、バスケット、マラソン、水泳等々、しかし、一方で勝負の無いスポーツがあります。釣り、ジョギング、サイクリング、ドライブ、単独でできるスポーツ、水泳も場合によっては勝負が無い。利益も無く、勝負も無いスポーツ、そこに向上が期待できるのか?向上が無ければ、スポーツでは無い。

例え、単独でやっているにしても、釣りはどうやって目的の魚を釣るか考えます。水泳にしても、ただゆったり泳ぐから、何かそこに目的を持ってくると考える。ジョギングでも、サイクリングでも、そこに何らかの目的などを設定すると、何かを考えるようになる。健康目的や痩せたいという気持ちとかです。それらは目的になりますから、目的があれば向上に繋がる。ジョギングしながら、仕事の事を考えているのなら、スポーツしたとは言えない。体は動いたが、頭が同調してません。

勝負におけるスポーツは、それはそれで良いのですが、勝負にこだわりすぎると、どんな事してでも勝ちたいという気が強くなる。それじゃあ、面白く無い。毎日、北京オリンピックをテレビで報道していますが、確かに彼らの努力には頭が下がる。すごい人達です。でも、ひとつ感じた事があります。それは柔道です。勝つ為に相手の反則を促す、ちょっと有利になったら何とかそのまま逃げようとする。それが解っているので、ルールも改正され、消極的な人には反則を与えるとか、いろいろと細かいルールがあるようです。それらを見るにつけ、選手には悪いが、柔道はちっとも面白くなくなった。日本の選手は技もあるでしょう。でも、どうも海外の選手は腕力があり、それを使って、低い姿勢で、腰を引き、技がかけられないような姿勢を取る。これでは技がかけにくい。両方ともですね。そこで、結局、あるとしたら、レスリングのような感じ、足を取ったり、くらいついたり、あれでは、柔道本来が持つ美しい技の切れ味は見る事ができません。とても残念です。でも、勝負である限り、勝たねばならない。ここんとこが難しい。勝負は向上を促しますが、過ぎるとそのスポーツ自体をスポイルしてしまう事がある。その本来の美しさが無くなってしまうのは残念です。決して勝負を否定しているわけではありません。

それで勝負の無いスポーツはと言いますと、これがなかなか向上に向かわない事があります。向上が無くなると、スポーツでは無くなり、ただの暇つぶしになりかねない。それだと、面白さが無くなってくる。たまには楽しいかもしれませんが、面白さが違ってきます。デイセーリングのセーリングも、そういう事になりかねません。面白さは向上にあると思います。ですから、セーリングしながら、向上していかなければならない。

知識が向上する。腕が向上する。感性が向上する。見る目が向上する。何かが向上しているだけで、きっと面白いと思います。向上するのは、自分の中の何でも良い。自分が面白さを感じていれば、必ず向上しているし、退屈になった時は何も向上していない。それは意識的でなければならないという事かと思います。いつもぼ〜っと乗ってるだけじゃいけません。遊ぶのも楽じゃない。楽じゃないけど面白い。

向上の無い遊びは、相手側が変化してくれなければ面白く無い。テレビも番組が変わるから面白い。セーリングもそういう事があります。波と風が変わるから面白い事がある。でも、偶然ですね。
セーリングを積極的に遊び、積極的に面白さを得るには、やはり向上しかないと思いますが?
何しろ、海域に変化は無い、ある変化は風と波、意識しないと、飽き易いかもしれません。でも、反面意識して、向上を図ると、こんなに簡単に面白さを手に入れる方法は他には無いかもしれません。

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