第五十八話 乗るという事

車は乗るという事、運転するという事に何らためらいもありません。当たり前の事です。考えるのは、その車でどこに行くか、燃費はどうか、デザインはどうか、性能はどうか、価格はどうかという事、あくまで乗る事は当然の事であって議論の余地は無い。

一見、ヨットも同じような感じもしますが、まだまだそのずっと手前です。確かに、性能を考える、サイズを考える、装備、操作性、価格、質などを考えます。しかしながら、乗るという事自体に、気軽さと言いますか、当然性と言いますか、そういう意識が根底にはまだ根付いていないような気がします。

車の性能は昔に比べれば格段に良くなってきた。非常に快適に、誰でも、簡単に運転ができる。そればかりか、エアコンは当然の必需品となり、ステレオが付き、DVDやテレビさえ見る事ができる。それらは、我々が車に乗る事に、体も意識も充分馴染んでいるからで、その上で、これらを楽しむ事ができる。GPSだって、乗る事に馴染んでいるから、どこにでも行く事ができる。発展の段階を順序良くたどってきたからかもしれません。

ところが、ヨットなどは、まだ馴染んでいない状況において、陸上の快適さが先にきています。つまり、快適さが先に来ています。ここがちょっとおかしくなった。順番をたどってはおらず、一機に、快適さまで来てしまった。それは悪い事では無い。しかし、快適さで埋め尽くしたおかげで、乗る事に気楽さを失ってしまったような気がします。本来は、乗る事が何でも無いようになって、それから、どんどん快適装備がついてくれば、もっとセーリングは根付いたかもしれません。つまり、昔はセーリングは大変だったが、今は誰でも楽にできるようになった。そういうようになったかもしれない。

ただ、ヨットは車とは違って、乗る事の快適さはなかなか制御できません。道路を舗装するように、海を舗装する事はできない。燃料である風をアクセルのようには制御できない。そういう意味では、最新の技術を使っても、これらをいつも快適に制御する事はできていません。逆にそうできるとヨット本来の面白味は無くなるのかもしれません。予測不可能な部分が面白いのかもしれません。
快適さとセーリングは別な物として考える必要があるかもしれません。

必要な事は、まずは気楽に乗る。ためらいも無く乗るという意識。それが根底にある事によって、ヨット本来の楽しみを知る事。その上で、快適装備が付く事によって、もっと楽になる。ジブもメインもファーラーになったら操作は確かに楽になる。しかし、乗る、セーリングするという事自体は相も変わらず波の上を走り、風をコントロールしなければならない。これは変わらない。装備がどうであれ、このセーリングに馴染むという事が根底に必要ではないかと思います。馴染んだ上での、装備は快適、楽です。馴染んでいない状態でのこういう装備は助けにはなるけれども、やっぱり、まだ自分の物にならない。

そこで、せっかく便利装備がありますので、何もこれらを排除する必要は無く、意識を便利さから乗る事にシフトして、セーリングに馴染むのが良いかと思います。便利さに意識があると、ちょっと不具合があると、対応しきれなかったりするのではないでしょうか。便利装備は助けにはなりますが、それらがメインでは無い。いかにセーリングするか、いかにコントロールするか、いかに楽しむか、その上で、便利装備がそれらを助けてくれる。もっと楽に、快適にしてくれる。

テレビを見る為に車に乗る人は居ない。エアコンが効いているから車に乗る人は居ません。乗る事が第一目的です。ヨットもそうなってほしい。乗る事が第一目的で、ついでに温水が出たら、冷蔵庫があったら、エアコンが効いていたら快適だという具合です。ですから、乗る事を主に考えて、いかに操作するかを考えて、そういう艤装、ヨットを考える。それが第一で、それができる上で、快適装備があればもっと楽になる。

今のヨットの多くは、誰かが手伝ってくれないと動かせないヨットが多い。一方で、クルー不足とも言われています。つまり、乗る事が主ではなくなってきています。快適装備、快適空間の方が主になってきています。でも、やっぱり乗るには、波の上を走り、風に対応しなければならない。乗る事が根底に馴染んでいないと、あまりにこれら快適装備が強調されると、乗る事自体が億劫になる。何故なら、乗る事自体は必ずしも快適ばかりではないからです。でも、ヨットが完全に快適になったら、もはやセーリング自体を面白がる事は無くなる。多分、どこかに行く手段になる。でも、そういう手段になるとヨットは効率が悪いので、もはやヨットの存在価値は無くなる。ヨットは快も不快も含めて、セーリングそのものを味わうところに存在価値があるのではないでしょうか?

セーリングに馴染んだ上で、メインファーラーにすると、これはもう楽ですね。楽なのは、セールの展開、収納に楽であって、セーリング自体が楽なのでは無い。でも、それで良い。セーリングのエッセンスに馴染んだうえでの便利は、セーリングをもっと楽しむ事に費やされる。

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