第二十五話 何故、ヨット?

優雅さや楽しさだけを想うと、それはたいして遊べないのがヨットです。夢を追えば、その達成には辛い事も必ずある。だからこそ、価値もあるし、達成感も沸いてくる。優雅なピクニック的セーリングはヨットの持つ要素のひとつに過ぎません。そこから1歩、踏み出すかどうかに、ヨットの面白さを味わえるかどうかがかかっています。晴天もあれば雨も降る。寒さ、暑さもあります。それは我慢では無く、求める意識が強くなると、我慢していると、自分でも思う度合いが薄れていきます。何故なら、面白くなるからだろうと想います。

スイスイ走っていて、突然の雨に見舞われる。そんな事もあるだろう。面白いセーリングをしていますと、笑って語る事ができます。ヨットをするというのは、そういう事だろうと思います。高いお金を出してやるんですから、楽しいだけでは物足りません。もっと充実した、自分が活き活きできる感覚を得たい。面白さを味わいたい。それがそれがしかるべきと想います。

ご夫婦でヨットを、と考えます。ですからゆったりで良いとも考えます。でも、それでも、容赦無く、雨は降るし、風も吹く。これらを避けるだけでは、ヨットには乗れなくなります。どうせなら、もう少しやって、それが面白いに繋がる必要があります。優雅にコクピットで食事しているだけでは、最初の1年ももたないでしょう。面白さが出て来ないと長くはやれないもんです。楽しさだけを求めると、辛い時は一層辛くなる。面白さを求めると、辛さも軽減されます。ひょっとしたら、それらを含めて面白いになる事もあります。面白さを求める事は可能性を広げる事になると思いますね。

それを思い切って経験しますと、それが何でも無い事になる。そして、さらにもっと面白い事の追求をするようになる。これって、誰でもワクワクしませんか?それには一歩踏み出す必要があります。楽しさの追求から一歩出る事が重要かと思います。楽しさは、誰かに乗せてもらうとか、誰かが自分を接待してくれる時とか、そういう時でしょう。自分が主体になって行動する時は、楽しさだけでは無く、面白さが必要になると思います。

舵を持つ手に伝わる感触を味わい、シートを引いて、その変化を味わう。そのやり方によっては、ヨットはいろんな動きをします。面白さは学ぶ事、感じる事、求める事の中にあると思います。求めれば障害もある。その障害は必ずしも辛いこととは限りません。対応すべき事はあるが、辛いか、辛くないかは気持ち次第。若い時は二度無い、ドンとやれなんて古い歌がありましたが、年取っても二度無い、ドンとやれです。いくつになっても、わくわくできたら最高です。それがヨットでできる。どこまでやるか?それは自分次第。楽しさの範囲から、時々でも少し踏み出す。前のめりで、少しやってみて、少しづつ増やしていく。進化、成長があれば、それが楽しいし、面白い。

ヨットをレジャー的に、楽しさの範囲で使うか、もっと突っ込んで面白さを見出すか、そこは大きく違うと思います。行為としては大きくは変わらない。ただ、セーリングを意識する事で、ちょっとした行動が変わり、受けるフィーリングは大きく違ってくるかもしれません。そこが分かれ目なのではないかと思います。

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