第二十三話 遊び物には美しさを

機能が重要である事は解っています。しかし、遊びには、機能だけでは面白く無い。それには美しさが必ず必要かと思います。機能は実際の動作に関係してきますが、美しさは人間の心に迫る。使うのは人間ですから、心を刺激する何かがあると、もっと面白くなります。今更、機能だけなんて時代でも無いでしょう。

ファッションしかり、車だってそうですし、家もそうです。ありとあらゆる物が、機能は当然良くなければならない。そのうえでデザインだって良くなければならない。へたすると、美しさ優先になって、多少の機能のマイナスはそれでも、美しさを取る場合もあるぐらいです。それだけデザインというのは、現代の我々にとっては、重要な要素かと思います。寒い冬に薄着をするなんてのは、典型的にこういう例でしょうね。

幸か不幸か、美しさを感じるセンサーはひとりひとり異なります。しかし、共通する部分も多く、夕陽や花など、誰が見てもきれいと感じる部分はあります。美しさというのはとても重要なファクターです。それは理屈では無く、感覚が全て。機能は頭脳で見て、美しさは感覚で見る。

ストレートのラインより、そこに少しカーブを持たせるだけで、人の受ける印象は違ってくる。しかもどんなカーブを描くか?人はちょっとした事でも敏感に感じ取り、美しさを感じたり、そうではなかったりします。こんな事は性能には全く関係が無い。しかし、カーブを持たせることで、余計な手間もかかる。手間がかかれば値段にはね返る。でも、そういう豊かな時代です。形さえあれば良いというものではありません。もちろん、美しければ、性能はどうでも良いわけでは無い。その両方が必要になります。

その美しいヨットを大事にして、乗らないのでは無く、どんどん使い込んで、メインテナンスを施して、そこには使い込んだ美しさが船齢と供に加わっていく。つまり、新艇時の美しさと使い込んだ美しさは少し違いますね。良いヨットは何十年でも使う事ができます。そこに使い込んだ美しさが加わる事によって、オーナーの顔が見えてきます。良いヨットは何十年でも使えますので、メインテナンスさえちゃんとやれば一生乗る事ができます。子供に譲る事だってできる。例え、手放す事になっても、そういうヨットはそれなりの価値を持って市場に出るべきでしょう。それが欧米では既にそうなっています。日本だけが船齢のみを反映している。日本では使い捨て時代を経験し、それに慣れている部分もあるのかもしれません。以前、英国で建てられている一軒の家があり、どのくらい使うを聞いた事があります。その返事はだいたい400年ぐらいという返事でした。良い物を長く使う。使い捨ての時代ではもはや無い。たとえ、自分が10年しか使わないにしても、次の方、その次の方が大事にされ、長く使われる。

ヨットが美しいなら、オーナーの乗り方も美しく。ヨットを良く知る事、メインテナンスを施す事、そのヨットを美しく保つ。これはオーナーが美しい。操船にあたっては、最初は練習しなければなりませんが、それには回数多く乗る事、1回が長いよりも、回数多い方が練習になる。手馴れた操作は美しいし、効率が良いので、体も楽です。そんな場合、大きなヨットにあたふたするより、小さなヨットを美しく乗った方がカッコイイですね。大きなヨットは無理せずクルーをつけた方が良い。ふたりのコンビネーションがピッタリ合えば、美しい。これは自己満足かもしれません。しかし、それでいい。何も誰かに表彰してもらいたいわけじゃない。

美しいヨットを美しく乗る。ここまで来れば、オーナーの意識はもっと先の微妙な動きとか調整とかに注がれる。誰も解らないかもしれませんが、そういう繊細な遊びをしている。そういうヨットは、またオーナーの顔を反映していますね。

大きなヨットを豪快に乗り回す乗り方もあれば、小さなヨットで繊細な感覚を遊ぶやり方もある。それは好みで違いますが、どちらも美しくが遊びには必要かと思います。美しさは見た目だけでは無いし、カッコ良さも含む。だいたい、このヨットでどうにかしよう、どうにかなろうという事は無いわけで、求めるは美しさではないか?美しさにはいろんな意味があると思います。

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