第六十話 想像力

楽しむには想像力が必要です。ヨットに乗って遊ぶ。どんな場面を想像するか、まずはそれができないと遊びがスタートしないのではないでしょうか。例え、乗った事が一度も無い方でも、ヨットはどんな物かは解ります。解らないとヨットしようという発想がまず出てこない。ヨットと聞いて、やりたいと思う人は想像できる人であり、想像できない人はやりたいという気持ちがわいてきません。

ヨットをやりたいと思ったら、想像を巡らして、どんな場面を思い浮かべるかです。爽やかにセーリングしている場面、優雅な場面、スリリングな場面、大海を走っている場面、いろいろですが、できるだけたくさんの想像をめぐらす事が、その後のセーリングをもっと広げる要因になると思います。
ですから想像力がある人はどんどん遊ぶ事ができ、想像力が乏しい人は、なかなか遊べない。

現代文明は想像力を弱める作用があります。進化するDNAを持った我々はできるだけ完成に近いように、何でも工夫します。工夫は想像力が始りですが、完成品を使う我々側は完成度が高い程、想像力を必要としなくなる。昔は、おもちゃが無く、だからこそ何でもおもちゃにして、想像して遊んだものですが、最近は何でもありますから、想像しなくても、こうして遊ぶという規定された遊び方で遊ぶ事になります。そういう具合に慣れてきますと、こういう使い方もできないかと想像する事ができなくなる。決して、文明を否定しているわけではありません。そうなっているのではないかという事実を言っています。

それで、自然に遊ぶというのは、人工的で無いので、想像力を養成する事になる。セーリングして遊ぶという事は、風と波に対する想像をします。その想像力が高ければ、いかなる場面でも想像をめぐらす事ができ、いろんな遊びができるようになると思います。そして、想像力が段々高まってきますと、ヨット以外でも、遊びでも仕事でも、何でも想像力が高まり、いろんな考えができるようになるのではないかと思うのですが。

想像こそが全ての始まりではないかと思う次第です。今度は、こんなセーリングをしてみたいとか、想像して出る。その次はどうか?また、その次は?想像して、実際は期待通りにはいかない方が多い。でも、その期待通りではなかったかもしれませんが、その期待とは違った経験をしたわけですから、そこからまた新たな想像をする事ができます。想像を切らさない事が大事かと思います。
それには期待通りにならなかった事をも受け入れて、良し悪しの判断では無く、次の想像のネタの一部にするかです。

最高のセーリングを想像する。でも実際出たら、風が無かったり、波が高すぎたり。それも経験です。最高のセーリングとはどんな状況を想像しているのか?風はどの程度か?他の状況は?
逆に、風が無かった時は退屈な場面、でも、それを遊ぶ事はできないか?想像してみよう。
すると、自分独自の何か面白さが発見できるかもしれない。程よい風は誰でも面白い。でも、そうで無い時もかならずあるわけですから、それは仕方無いと諦めるか、或いは、何か面白い事が想像できるか?どうせなら、何か面白い事、ちょっとでも、そういう想像ができれば、楽しさも広がる。人よりたくさん楽しんでいる事になります。そして、どうせなら良い想像をしましょう。

ジョンレノンも歌ってます。 ♪ IMAGINE ♪ 想像は全ての始まりです。想像無くして、何も始まらない。

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