第七十九話 知的満足感

美しいヨットを持つ事には一種の満足感があります。これは必要な事でしょう。その美しいヨットでセーリングをする。それも満足感をもたらせてくれます。しかし、さらにその満足感を増幅し、長期間に渡って満足させてくれるものは、そこに常に新鮮な何かが必要ではないかと思います。

たとえ、美しいヨットを毎年のように買い換えたとしても、その買い換える行為にも飽きがくるでしょう。例え、爽やかなひと時を過ごしたとしても、人間はそれだけでは満足できなくなります。究極の満足感を満たすには、自分だけの、独自の冒険が必要ではないかと思います。その冒険はある危険を冒してまで行く大海の向こう側にあるかもしれません。でも、もうひとつ人間を満足させてくれるものが身近にもあります。それは知的進化ではないかと思います。

美しいヨットである事は当然の事、ヨットは美しくなければなりません。その美しさの上に、今度はヨットにおける自分自身の知的進化が加わる事で、満足度は増幅し、長期間保持される。ヨットは車のようにアクセルさえ踏めば、誰でも速く走れるというものではありません。そこには、ヨットの性能プラス、知識と腕が必要になります。知識は腕を支え、腕はさらにその上の知識を要求します。それらは、速いという結果をもたらし、最後には、その走りを感性で感じる事ができます。その感性で感じた事は、世界が違ってきます。

ヨットをただの移動手段として取り扱う事もできますが、人はその程度ではやがては満足しなくなります。速いという必要は無いかもしれませんが、知識を得、よりスムースに走らせるという事は結果的にスピードとなって現れ、そのわずかなスピードの差が、感性として大きな差として感じられます。つまり、人とは違う別の世界に存在します。そういう世界を味わおうという事です。

クルージング流行か、大きなキャビンヨットばかりになってしまいました。しかし、もうひとつ進めて、もうひとつ先の世界を味わう為には、原点に戻って、セーリングをいかにするか、そこには知性も必要ですし、感性も必要だし、冒険心も必要です。実際、そういう世界を味わう方は少ないのではないかと思います。最後は、物では無い、感性の世界での最高の気分、これに勝るものは無いと思います。

見た目に美しいヨットはバランスも良い。そんなヨットで、自分の知識をフルに活かせて、微妙なバランス感覚を味わったり、舵に伝わる感覚であったり、風の変化に対する自分の対応の的確さに酔いしれる。そんな感覚は、キャビンで寛ぐ比では無いと思います。興奮を覚えます。それがデイセーリングの醍醐味ではないでしょうか。ヨットというと大海を思う方もおられるでしょう。そういう乗り方は荒々しい大海を乗れ越える冒険心を満足させてくれるでしょう。でも、デイセーリングはもっと知的で繊細で、また別の次元の冒険だといえます。

よって、ヨットの醍醐味を味わう方法は二つ、大海を乗り越える冒険をするか、繊細なセーリングをするかです。後は合間のおまけのような物、このふたつの醍醐味のどちらかを、どう味わっていくか、それがヨットを心から堪能する方法ではないかと思います。大海を選んだ人は、外洋艇で海を目指す。強靭な精神力と体力を要します。繊細なセーリングを目指す方は、デイセーラーがお奨めです。自分の知識を駆使しながら、いろんな操作を楽しみ、走りを楽しみ、進化を楽しみます。そして、自由自在を楽しみます。

ヨットを知的遊びとして考えます。人は知識に対して貪欲ですから、知れば知る程、奥の深さに気づき、もっと知りたくなります。そこには同時に微妙な変化を感じる感性さえも同時に進化していきます。ですから、知識と腕と感性が同時進行で進化していき、その面白さには終わりが無い。こんな所に夢を持つというのはいかがでしょうか。自分が自由自在に操って、セーリングできる夢、その夢は到達すればまた先がある。ですから尽きる事がありません。お茶するのは、その合間でも良いんじゃないかと思うのです。その合間にするお茶は一味も二味も違ってくると思います。お茶を優先した途端、その世界は消えてしまいます。それならお茶を追求した方が遥かに面白いかもしれません。面白さは追求した先にあるのではないでしょうか。

美しいヨットを持ち、それを乗りこなす自分にきっと何とも言えない満足感が沸いてくると思います。

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