第三十三話 成す

I am somebody という英語表現があります。私は何者かであって、nobody では無い。つまり、価値ある何者かを指しているのだと思います。人は誰でも何者かでありたいと願い、自分の存在を確かめたいといつも願ってます。それが夢であり、究極的には、夢の実現は、価値ある存在である為に何を成すか?そういう所に行きつくような気がします。

言うならば、自分の存在の確認のようなもので、それは心躍るような何かを成す時、また、必ずしも楽しい事ばかりでは無く、困難を乗り越えるとか、スリルを味わうとか、人によって異なりますが、そこに自分の存在が確認できる。それが満足感や充実感を与えてくれるものではないかと思います。

例えば、ある人が大金持ちになる夢を持った場合、宝くじがズドンと大当たりで、一変に夢が実現したとしたら、彼の夢は叶ったわけですが、恐らく彼は、それで満足せずに、何かをするでしょう。
それは夢が叶うプロセスにおいて、何かを成したという存在が無いからです。人は常に何かを成し、何者かになりたがる。それが夢だと思います。

レジャーにはそんな何かを成すような物は存在せず、ただ、楽しい時を持つという事になりますが、ヨットはレジャーではありません。レジャーにもなりますが、レジャー以上の何かがあります。ですから、何かを成そうと思えば、それに値する自分の存在感を見出す事も可能だと思います。それで、ある人はヨットを使って、挑戦に挑みます。世界を回る。世界最速、単独無寄港、そこまでは無くても日本一周もそうでしょう。ヨットは楽しいレジャーであり、またそれ以上の何かがあります。

それで、もっと手近な所で、同じようなチャレンジができます。世界一周が面としての広がりの世界であるなら、これは点ではあるが、もっと深く求めるチャレンジです。これは誰にも目立ちはしませんが、人にアピールする必要が無いならば、充分に存在感のある、成すのひとつであると思います。

キャビンから出て、セーリングをする時、そしてそのセーリングに集中する時、そして、それを何年も続けるとしたら、それはすごい事でもあります。長い間こんな事を続けるには、相当多くの発見や体験があると思います。例えそれが1日に3時間であっても、それを周に1度やるとしたら、月に4回12時間、年に144時間、10年で1,440時間、20年で2,880時間です。引退してからだったら、周に2回でも、3回でも行けるかもしれません。そこから何かを得ないわけがありません。誰でも賞賛はしてくれないかもしれませんが、確実に何かを成したという実感が湧き出てくると思います。これだけ集中して乗れば、セーリングの感覚は磨かれ、その感覚は全てを感じることができる。遠くに行くだけがヨットじゃない。セーリング技術も磨かれますが、何より感覚が磨かれる。結局、少しづつの積み重ねが膨大な何かに化けてしまう。

何も成し遂げようとして無理に乗るわけじゃありません。1日3時間のセーリングが面白い。そう感じた時、それを単純に続けようという事です。そこにいつも面白さを見出す事ができれば、それは時が経てば、いつの間にか、膨大な何かになっていく。結果的にはそうなる。何になるかは解りません。でも、長い長いプロセスを経ていますから、それで既に成しています。多分、何になっても構わないと思われるでしょう。既に成してますから。

毎日、毎日歩いてますと、ほんの数センチの段差でつまづく事があります。それは歩くという動作が自分の感覚になっていますから、ほんのわずかな段差に違いを感じます。セーリングも身につくと、どんな感覚ができあがるのか?人生は究極的には感覚ゲームだと思います。ですから、わずかな事でも感じ取れる感覚を持つという事は、それだけ面白いゲームができる事になると思います。感じれるようになるとセーリングはもっともっと面白くなります。

ちょっと昔ですが、セーリングをしていた時、何か微妙な振動にも似た感じを受けた事があります。それで気になって、すぐにマリーナに帰り上架しましたところ、ほんのわずか、キールの最下部に
傷がついていた事があります。キールは鉛でしたので、すぐにサンディングして整形し、下ろして走ってみますと、その振動は無くなっていました。決して、セーリングがうまいわけでは無く、ただ、集中してしょっちゅうセーリングしてました。これはほんの一例ですが、そうやって自分が磨かれていってる事が実感できました。この時は回りから良く気がついたねと感心されたぐらいです。だからと言ってどおって無い事ですが、セーリングにおいて、自分の存在がそこにある。それは面白い事です。セーリングにはそんな要素もあります。

大の大人が、おもちゃで遊んで、夢中になってるだけで、操作がどうだ、上り角度がどうこう、いろいろ遊んでるだけで、同時に何もかも一緒に変化していっている。最初はこれに気が付きません。
でもある日、きっと、自分が成してきた事に充実感を感じる時が来ると思います。日常のセーリングにおいて、楽しさや、エキサイティングや、スリルや辛さなども全部味わっていくとそうなると思います。全部引き受ける。すると、ヨットは楽しいだけではありませんね、ヨットは面白いに変わります。どうせやるなら、面白い3時間を、時々でも永く続けて言っていただきたい。それは世界という広い面ではありませんが、点であっても、奥に深さを持った点になると思います。広げてみれば、それは世界と変わらない。ただ、誰も賞賛はしてくれませんが、少なくとも自分ではこの成すという事に充実感を感じられると思います。

とにかく、セーリングにおいて、何ノット出たとか、滑らかな動きだったとか、うまくなったとか、それらはとっても大事な事です。でも、その他にも、夢中に遊んでいるだけで、感覚が磨かれ、感覚が磨かれると全てが変わる。いや、実は気がつかないスピードで徐々に世界は変わっています。それがある日、ドンと気がつく事がある。そういう面白さもあります。

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