第七十一話 明確にする

たかが遊びに、何やかやと理屈をつける必要は無いんでしょうが、今から最低でも10年、場合によっては20年、30年と続けていくには、それなりの方法があると思います。もちろん、続けなければならない事は無いわけで、いつでもやめて構わない。でも、せっかく始めたなら、永く続けられるようにしてもらいたい。続けたいと思うようにして頂きたい。

数年ならば、どんな理由でもやる事はできます。でも、それを10年続けるとなると、お金さえあればできる事では無い。根底にはやはり面白いという感覚が無いと、義務でも無い限り、永くは続かないものです。それでは、どうしたら面白くなるか、という事になります。

今、最も面白そうだと思う事にできるだけ集中させる事だと思います。それは明確にするという事です。それが何であれ、最も望む事を中心に据える。そうしますと、他は犠牲になるかもしれません。でも、それがあいまいでは、最も楽しめる部分さえも、不満足になってしまう。もし、それが宴会やピクニックセーリングなら、そういうヨットにして、仲間と宴会を楽しめば良いと思います。月に何回できるか、年に何回できるか知りませんが、それがしたいならそうすれば良いと思います。そして、それが10年続くなら、それも良い。これもヨットの持つ魅力のひとつでもあると思います。それで、もし、どこかの時点で、これではしょっちゅうは使えないとか、今一面白味が無くなったとか、仲間が集まらないとか、そう感じはじめたら、次に興味ある事をまた明確にして、そこに集中します。必要があればヨットを買い換える事も出てきます。

外洋に出たいと思う人は、そうすれば良いわけで、スポーツしたい人もそうすれば良い。美しいヨットを磨き上げて、眺めるのが好きな人はそうすれば良い。日本一周したい人はそうすれば良い。
最も中途半端なのは、あれもこれもと思う事です。全てが中途半端になってしまいます。大きなキャビンは不要と言ってますが、そうしたい人は大きなキャビンで実際に運用してみる事です。その結果どうなるかを知る事にもなります。何に重点を置くかを明確にして、他をできるだけ削ぎ落として運営しますと、その使い方が自分を満足させるかどうかが良く解ります。そして次のステップへ行けば良い。頭でどうこう言っても実際はわからない。やってみないと人は納得しません。

欧米人は長い歴史の中で、ああでもない、こうでもないといろいろ試してきて、そして自分に合う使い方を見つけてきています。彼らは、他人がどうしようが、自分はこうだという認識があり、へたすると他人がこうだから、自分は違う道を行くという事もありますが、とにかく、そうやりながら、ヨットに住む人、セーリングする人、外洋に行く人、それぞれが自分のライフスタイルを見ながら楽しんでいます。小さなヨットから始めて、儲かった人は、どんどんサイズを大きくして、メガヨットにまでなる人もいます。或いは、レースに目覚めて、レーサー一辺倒になる人も居る。大きなサイズから小さくする人も居る。いろいろです。それは理屈では無く、感性、なんとなく、それがしたくなった。なんとなく、小さいサイズで気軽にセーリングしてみたくなった。そういうなんとなくでしょう。

日本では、そういう欧米人が使う使い方のヨットを買って、それと同じ事をします。先輩にならう。そうこうしながら、30年ぐらい経った。果たして、日本人の使い方は欧米人に従ってきて良かったのかと疑問に思います。何故なら、あまりヨットが動いていない、使われていない。そういう事に疑問を抱くわけです。頭の中では、ヨットで過ごす楽しいであろう時が想像されますが、実際はどうだったかと言えば、楽しくは無い。いや、楽しいんだけれど、たまで良い。そんなもんではなかったかと思うわけです。それは、あるニュージーランド人の言葉が象徴しています。”週末なのに、何故、みんな帰ってしまうのか?何故、ヨットに泊まらないのか?”話に聞けば、彼らは、よくヨットに泊まるし、宴会もするし、セーリングもする。吹けばセーリング、吹かない時は宴会やメンテ。週末は泊まる。

そんな話を聞きながら、また、過去30年を振り返りながら、欧米人と同じような使い方はできない。そう感じています。そうすると、どうすれば良いか。永く続ける秘訣は、面白いかどうかです。じゃあ、どうすれば面白いと感じられるかです。そこで私の結論は、セーリングにあると言う事になります。宴会は楽しいです。泊まるのも楽しい。ピクニックセーリングも楽しい。ちょっと遠出も楽しい。
でも、みんな楽しいという次元です。楽しいというのは、面白いとは違います。雲泥の差です。楽しい事はたくさんあります。ヨット以外でも楽しい事はたくさんある。映画を見に行ったり、ボーリングしたり、ドライブに行ったり、旅行したり、みんな楽しい。ですから、ヨットが楽しいなら、それは他と同じ次元にありますので、いろんな事やりますと、そりゃあたまにしかヨット来れません。ヨットに来なくても、業者に頼んでいつも整備してれば良いんですが、そうじゃなければ肝心な時に使えない。

ヨットは大きな物です。映画やボーリングと同じ次元ではありません。ほっとけば痛む。世話のやけるものです。そして、人は楽しい物の中から、面白い物を発見して、そこに行く事になります。あるいは、そうしなければならない理由があるかです。映画が楽しい次元から面白いに変わると、しょっちゅう行きます。そしていろんな事を知りたがる。学びたくなる。単純にストーリーがどうこうでは無く、監督がどうだ、脚本、主役の演技がどうこう、知る事が深くなっていき、それが面白くなる。
ボーリングに面白さを発見したら、練習しにしょっちゅう行きます。フォームを研究し、マイボールを持ちたくなり、高得点を取れるとうに練習します。面白いからです。手にマメができて痛くても、やめられません。面白いからです。その面白さが続く限り、永くやる事ができます。面白いというのは、楽しい事ばかりでは無く、疲れたり、手が痛くなったり、いろんな楽しく無い事も起こる。でも、それらは本人にとって何でも無い事です。面白さの魅力がある限り、何でも無い。

それで、結論は、ヨットを面白くする事です。それには、セーリングを意識するという事になります。何故なら、セーリングはヨットでしか味わえない事ですし、知れば永く続けられる深さもある。これをせずに長く続けるというのはできないんじゃないかと思うぐらいです。年とってもできる。いつでもできる。かつ、それが面白い。そうでなければヨットなんてできません。

これが私が明確にした結論です。そうしますと、ここに集中してきますから、他の遊びは削減されてきます。キャビンでゆったり過ごす時などは無くなるかもしれません。でも、ここに至ると、楽しい事と面白い事の差は歴然ですから、何でも無い事になります。そして、たまに楽しい事をみんなでしようと思うと、ちゃんとそれなりにできます。ただ、エアコンの入ったキャビンは無いかもしれません。でも、季節の良い春とか秋なら何も問題は無い。

それで、シングルハンド、デイセーラーは最も面白い、手軽でもあるヨットだと思います。セーリングを遊ぶには最高だと思います。しかし、もし、ちょっと遠出のコースタルまではずせないなら、セーリングを見捨てていないヨットの方が良い。どうせ、大半はデイセーリングなのですから。それに遠出はエンジンを使いますから。このデイセーラーとコースタルセーラーで、殆どの使い方はまかなえる。後は一部の冒険家など、外洋を目指す人達です。これにしぼって明確にするなら、また選択は違う。外洋に耐えるヨットでなければなりません。サイズも大きくなるでしょう。そうなると、今度は日常のデイセーリングにおいて、しょっちゅう出し入れするには気軽さを持つには相当なエネルギーの持ち主でなければならないし、シングルというわけにもいかなくなる。

明確にすればする程、オールマイティーでは楽しめないが、集中した部分は面白くなる。その面白さを確保する事はとっても大切な事ではないかと思います。そうでなければ、ああ、楽しかったで終わる。そこには深さは無い。ヨットは大きな物です。映画やボーリングとは違う。大きなエネルギーを持ってる。それを楽しかっただけで終わらすにはもったいないと思うのです。
まあ、でも、気楽に、気楽に。

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