第五十七話 ヨットを遊ぶ

ヨットで遊ぶか、ヨットを遊ぶかは大きな違いです。ヨットで遊ぶ場合、まあまあそこそこの練習をしておけばそれでも良いわけです。目的はヨットでは無く、ヨットで遊ぶ事ですから、ヨットを道具として遊ぶ事になる。ヨットでどこかに行く、ヨットで食事する、ヨットで宴会する、等々です。楽しみはヨットでは無く、ヨットを使ってなされる何かという事になります。丁度、映画を見るのと同じで、どんな映画を見るかより、誰と行くかの方が重要視されるようなものです。それも悪いわけではありません。重要な事は、どのくらいの頻度でヨットを使うかという事です。

年に数回で満足なら、どんな使い方でも良いでしょう。月に1回程度ぐらいまでなら、ヨットで遊ぶという事でも使えるでしょう。でも、頻度が多くなると、ヨットで遊ぶには限界が出てくる。余程の演出を毎回毎回考えないと、ヨットでは遊べなくなります。つまらなく感じてきます。使用頻度が少ない時は日常の世界とは違う海という事だけで、別の感覚を持つ事ができます。でも、頻度が多くなればなる程、変化を感じれないと、つまらなくなってしまいます。毎週、毎週、仲間を呼んで宴会ができるだろうか?ピクニッククルージングで満足だろうか?酒飲んでるだけで楽しいだろうか?もちろん、酒飲むのはヨットの上だけではありませんね。

頻度の高い使用をしていくには、ヨットで遊ぶのでは無く、ヨットを遊ぶ必要があると思います。ヨットで他の何かをしようという事では無く、ヨットそのものを遊ぶわけです。それはセーリングして、スポーツして、変化を楽しみ、成長を楽しみ、自分が行動し、反応を感じる事ですから、常に変化しています。自分がうまくなっていく過程も味わえます。そこにヨットを遊ぶ面白味があるわけです。それを味合わずして、しょっちゅうヨットに乗るという事はありえないと思うのです。そう考えると、多くのヨットがあまり動いていないという事実は理解できます。

ヨットは遊びですから、こうしなければならないという事は無いですが、やはりヨットというのは誰でも体験できるものではありませんし、ましてオーナーになるなんて事は非常に稀な存在なわけです。そういうチャンスを得たわけですから、できれば、しょっちゅう乗ってほしいですし、頻繁に乗りたくなるように、それだけ面白いものである事を体感してほしいと思います。ヨット自体も、その為に造られたわけですから、せっかく生まれたものですから、存分にその価値をまっとうさせてやりたいものです。その為にはヨットを遊ぶという事を考えていただきたいと思います。

ヨットには付加価値があって、ヨットでいろんな事ができます。ヨットがセーリングするしか使い道が無いとしたら、事は簡単だっただろうと思いますが、幸か不幸か、付加価値がある。その付加価値は、時にはその本来の機能よりも魅力的に見えたりします。そんなのは無視だとは言いませんが、本来の機能を忘れずに居てほしいと思います。本来の機能こそが、その物の最大の魅力でもあるわけで、それを存分に堪能できたら、その付加的な機能が補助的な役目をして、オーナーをもっと楽しませてくれます。

セーリングは緊張であり、付加価値は緩和だとも言えます。もちろん、セーリングの中にも緊張と緩和があり、総合的に見ると、セーリングが緊張でキャビンが緩和だと言えるでしょう。楽しむにはこの緊張と緩和をうまく使い、ブレンドしていく方が良いでしょう。緊張ばかりでは疲れます、緩和だけでは物足りなくなります。ヨットにしょっちゅう乗って、それも何十年でも続けるには、それなり工夫が無ければできるものではありません。それはヨットに限らず何でもそうです。1年か2年ぐらいなら、適当で良いのですが、10年、20年やり続けるには、それなりの魅力、牽引力が必要です。
それを求める姿勢が必要になります。つまり、ある程度、追求していく気持ちが無いと、続けられないと思います。それには、毎年毎年、ロングに出て、その都度、違う場所を目指し、それを続けるか、或いは、セーリングそのものを追及していくかのどちらかではなかろうかと思うわけです。いずれにしろ、どこかに緊張感を保ち続ける事、それは冒険を続ける事と同じです。自分なりの緊張、冒険で良いわけです。何もプロになろうという話ではありませんから、自分なりの挑戦を常に持つ、緊張感を持つ、それは何をするにしても同じだろうと思います。

私のお奨めはセーリングの追及です。これが緊張、それ以外はみんな緩和になります。つまり、セーリングさえしておけば、意識しておけば、ヨットを永遠に遊ぶ事ができます。新しい世界がどんどん開けてくるだろうし、発見があり、学びがあります。これは緩和時における快楽とは次元の違う緊張を伴う快楽です。面白おかしく過ごすより、充実感を得た時、人は心から癒される。

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