第九十六話 ヨットゲーム

ヨットはお楽しみというレジャー的遊びから、ゲームにもする事ができます。前話の最後にも書きましたが、冒険という言葉が嫌なら、ゲームと呼んでも良い、つまり、ヨットを遊んでみたらいかがでしょうか。遊ぶというのは、良い時は誰でもほっといても楽しいですが、そうでは無い時に遊ぶ事ができるかどうか、これは面白いに繋がっていきます。自分の心地良い時ばかりでは無く、ちょっと無理したぐらいをゲームのように遊ぶ事ができれば、面白さの幅が広がっていきます。結局、面白いというのはそういう事だと思います。

話はちょっと違うのですが、私の知り合いと一緒に香港に行った時です。彼は子供に土産を買おうとトイザラスに一緒に行きました。特に彼に変な趣味があるわけではありませんが、この人がトイザラスのおもちゃをひとつひとつとって、これはこう、こういう所が面白い、良く出来てるなどなど、端で見ていて非常に気持ちが良いほど楽しんでしまう。別に自分がほしいわけでも無いんです。
それもあらゆる種類のおもちゃをそれなりに感心したり、面白がったりです。造った人のアイデアや、工夫など、そういう物を心から楽しんでしまう。私なんかですと、あまり興味無いんで、こんなもんで良いかと、つい思ってしまいますが、彼は違う。こんな人初めてでした。内容はちょっと違うかもしれませんが、何をするにしても楽しもうと自然に気持ちがなるようです。楽しむという事はそういう事かなと思います。手にとって、あっちこっち扱いまわして、動かして、それをトータルで面白がる。実につまらん物も面白がる。もうここまで行ったら才能だなと思いました。困難があってもうひゃうひゃ笑い飛ばしてしまう。

ヨットはゲームです。スムーズもちょっと荒れた時も全部まとめてうひゃうひゃ笑い飛ばせたら、こんな楽しい事は無い。ですから、ちょこっとだけ冒険してみましょう。それができたら、もうちょこっとだけ。どんなゲームでも、勝ったり、負けたり、勝つだけなら、面白くは無い。どうやったら勝てるかと工夫したり、挑戦したり、結局はそういう時が最も面白かったとなる事が多いと思います。何も大袈裟な事じゃありません、ちょこっとで良いんです。

そういう意識を持って、乗り出したら、これはもう世界が違うと思いますね。世界は自分がどう思うか次第じゃないでしょうか。ちょっと波があって、今日は面白くなかったと思う事もできますが、同じ状況でも、スリルがあって面白かったとか、波をこんな風に舵きっていけば良かったとか、思い方は様々ですから、どうせなら、面白くした方が良い。それなら、ゲームをする思いでできればいいかなと思います。それで、やっぱりヨットやるなら、ちょっと冒険しましょうという事になる。すると、感動が来る事もある。”日常にちょっとした感動と冒険を” 当社のコンセプトです。

良い時に楽しいのはまだまだ素人、遊びの天才はちょっと苦しい時もゲームにして楽しんでしまう。
ヨットのプロになる必要はありませんが、遊びのプロになった人は何をしても面白い。楽しい事ばかりでは無いでしょうが、面白い。ここの所にかかってると思いますね。きれいな女性連れてセーリング、楽しそうです。羨ましい。でも、もうひとつほしい。

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