第二十話 参加する事と受身である事

遊びには自分が参加する遊びと受身的に楽しむ事がある。野球やサッカーゴルフにテニス
こういう遊びは自分が参加して楽しむ事とそれを端で見ても楽しむ事ができます。それぞれ
は楽しみ方が異なる。ヨットに関して言えば、端で見て楽しむというにはちょっと無理がある
ような気がします。セーリングしている状況をテレビで見る。最初は良いが、何ら大きな変化
も見えないので、何時間も見続けるには無理がある。しかし、端でみて退屈な時でも、乗って
る当人は何時間でも面白いかもしれない。それは実感できるからでしょう。何の変化も無い
ように見えて、実際はいろんな動きがある。それを感じられるのは乗ってる当人だけでしょう。
つまり、ヨットは見て楽しむのと、乗って楽しむのとは雲泥の差であるという事です。

自分が参加する事によってのみ、面白味がある。という事は、見て楽しむ物では無いとしたら
なるほど、一般にヨットが広がるには無理がある。少なくても、乗った事があるという経験が無い
となかなか面白味は見るだけでは解らない。野球のようにTV中継があり、一般家庭でセーリング
場面を写し、それを楽しむのなら、広がりは大きくなる。しかし、例えTV中継があったとしても、
見て楽しむというのは無理があるので、一般スポーツのようには広がりを見せない。

ヨットは自分が参加して楽しむものであり、参加して感触を味わうものです。舵を握っているだけで
も見るのと握るのでは大違いなのです。ですから、乗ってみなきゃ解らないという事になります。
ですから大きな広がりを見せる事にはならないかもしれませんが、チャンスがあれば是非乗って
下さい。

ヨットは参加するスポーツであるという事は、自分で操作して楽しむものであり、ただ乗ってるだけ
では面白味の半分しか解らない。つまり、クルージングと称して、できるだけ何もせずに楽だけ
を考えるなら、自分が主体の操作であっても、半分強しかわからない。それで積極的に操作して
くると、もっと解る。つまり、ヨットは自分が乗る参加するスポーツであり、乗るからには積極的に
操作するスポーツであり、その方が面白いのです。自分が動けば動いた分面白くなるスポーツで
す。ですから面倒くさいと思った瞬間から、ヨット離れが進む。ヨットは面倒な乗り物です。でも、
その面倒さを楽しむスポーツです。これが嫌というのは、野球でバッターボックスに入って、打つのは
やるが一塁ベースには走らない。守備はしない。そういうものでしょう。それで果たして、面白いので
しょうか。

但し、セーリングには関係の無い、係船ロープを解くとか、カバーをはずすとか、そういう作業はできる
だけ簡素にしないで済む事はしない。こういう事はたいそう面倒に感じます。

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