第七十四話 ボートからヨットへ

もし、釣りがしたいのなら、それはボートが良いでしょう。でも、釣りはしないのなら、ヨットの
方が断然面白い。そういう事で、最近ある方がボートからヨットに乗りかえられました。今まで
ヨットに乗った事がなかったので、解らなかったものの、友人の乗せてもらった経験が素晴らし
いと感じられたようです。何故、もっと早くからしなかったのかと思ったそうです。

何かをする場合、やることはだいたい決まっています。野球をやるなら、打って、投げて、走る
サッカーなら、蹴って、ヘディングして、パスして、シュートして、テニスだって走って、打つ。そ
れぞれは単純な行為から成り立っている。ボートで行う単純な決まった行為、そういう行為自体
が楽しく感じられ、何時間やっても飽きないものでなければ、あきるのです。釣りだって、単純
な行為です。でも、それぞれの単純な行為の中に追及していけば深い味わいがある。だから、
みんなが夢中になれる。

セーリングするというのは、ひとつひとつは単純な行為です。他のスポーツと全く変わらない。でも
それらの行為の総合の中に深いものがある。だから30年やっても飽きないのです。深く関われば
関わるほど、その深さが解る。よって飽きないのです。ヨットをボートのように使うならば、その行為
に飽きないなら良いのですが、どうも見ていると飽きる人が多い。

エンジンで走るのは誰でもできる。速く走りたいなら、より大きなエンジンを持ってくれば良い。子供
だって、スロットルを上げればスピードは上がる。そこにどんな走り方をしようかというものがあるか、
ないか解らない。でも、ヨットにはエンジンを使わず、常に変化する風を捉える行為ですから、やる
事は単純でも、それらが複雑にからまってくる。この複雑さをひとつひとつひも解いていくと、解るとい
う段階が無数にあり、解った事を試し、腕が上がる。つまり、上達するという事が感じられる。それが
面白さではないか。誰が乗っても同じでは無い。いつも風は同じでは無い。それらが少しづつ解るか
ら飽きないのです。

どこかに飯を食いに行くのは解るという行為では無いので、どんどん新しい目的地が出てこないと、
同じ場所では飽きてくる。どんなご馳走でも、毎日では飽きる。でも、セーリングは変化する風と、上達
するという感覚が人を飽きさせないと思う。

よって、一旦、セーリングの良さを知るとやめられないのです。自分がどこのレベルに居ようが構わない
どこに居ようが、そこから知り、上達していくというので良いと思います。それが面白いのです。テニス
やって、打ち返せない人が、そのままそこに居るなら、テニスは楽しいものでは無いでしょう。でも、やっ
ていくうちに打ち返せるようになる。そういう上達があるからこそ面白い。打ち返せなかった時の世界と
打ち返せるようになった世界はもはや同じでは無い。ヨットでも同じだと思います。上達する事に視点を
置くと、そうなってくる。でも、上達では無く、何か面白い物はないか、面白い所は無いかと外部に何か
を求めるなら、やがては飽きてくる。何故なら、外部にある物には限界があり、内部にある物には限界
が無い。つまり、深さとは外部にある物の深さでは無く、自分の中にある。だから、視点を外部に置くか、
内部におくかの違いではないかと思う。そうすると、本来はボートでも内部に視点をおけば、深さが見えて
くるのかもしれません。でも、ヨットの方がはるかに、内部に深さを見つけやすい。そういうヨットでも、意識
を外部ばかりにもっていくと飽きてしまうのです。外部には深さが無いからです。

セーリングの深さを知る者は、自分の中に深さを見た者ではないかと思うのです。だから、自分次第です。
セーリングという行為によって、自分の深さを見る。セーリングという行為は導きやすいのです。そして、
もっともっととやっていくうちに、しびれるようなセーリングを体験します。ご褒美のような物です。その時
自分がとてもうまくなったような気がします。自分がどのレベルに居ても、そのレベルで体験できるのです。
だからスポーツヨットはお奨めなのです。

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