第六十五話 知と感を遊ぶ


      

高速を目指すのは進化を表現する最たるもの。スピードは進化そのものです。リニアモーターカーは時速500km?是非、一度は乗ってみたい。地上を走る最速の列車でしょう。でも、それは我々がスピード感を楽しむ為では無く、短時間移動を可能にするという生産性向上を目的とする。このスピードは我々の遊び心とはまた別な処にある。

レーシングヨットだろうが、高速ボートだろうが、乗っけてもらうだけなら考える事は何も無い。だから慣れてしまえば、それ以上の驚きも無い。しかし、自分で運転するなら話は別だ。何故なら、そこに知と感があり、そのふたつが繋がるからだ。スピードはその知と感を遊ぶ為の道具となる。

物事を深めるのは知の遊びがあるからではなかろうか?あらゆる趣味は知の遊びがある。自分で考えないで堪能できる事は何も無い。自分で考え工夫するからこそ進化し、より深く味わう事ができる。これが楽しさと面白さの違いでもある。面白さは自分が主体となって考える事から生まれてくる。

セーリングには少なからず知の遊びがあります。簡単なシートの出し入れにしても、そうする理由があるし、知がある。それに慣れるとセールの角度ばかりでは無く、セールの形状にも知が及ぶ。角度と形状はどうが良いのか?その為には、シート以外の装備を使うようになって、その組み合わせによる違いにも知が及ぶ。さらに、風向や風速が変化していくわけですから、そこにバランスしようと知を遊ぶ。

どこまでも難しいセーリングは知の宝庫。プロだって探求し続けている。この知の面白さは完成にあるのでは無く、進化のプロセスにある。解けない謎が解けたら面白い。でも、また次の謎が浮かんでくる。その謎に気が付く事が重要だ。セーリングは外界の風景やスピード変化等にだけ意識を置くと、外界の状況次第で制限される事が解る。しかし、内面の知や感にも意識を全体の半分ぐらい置くと、外界だけでは無く、自分の中から面白さを創造できる。

という事で、セーリングは知と感を遊び、深めていく面白さなのではないかと思います。外界は創造できないが、知と感は創造できる。そしてそれは外界に変化をももたらす事にもなる。とかなんとか、要は考えて試行錯誤して、何かが解って行けば面白い。それは知性ある人間としての特権です。動物ではそうは行かない。

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