第十三話 セーリング鑑賞



      
音楽を鑑賞する。映画、絵画、その他鑑賞するという事には、その対象を吟味して良し悪しとか、好き嫌いとか、特徴を掴んだり、その表現を愛でたりします。セーリングはスポーツだと書いた事がありますが、多くのスポーツは相手が居て、その競争だったり、闘いだったりします。それに対して、セーリングそのものは、競争するわけでは無く、これは鑑賞するのと同じ事ではないかと思います。

ただ、映画や音楽と違うのは、自分で操作して、そのセーリングを鑑賞する。それはそのヨットの特性であったり、自分が操作する技術も含まれます。そう考えますと、セーリングそのものは、他のレースや移動の旅等とは決定的に異なるものと言えると思います。

セーリングを鑑賞するには、真剣に操作した方がより鑑賞にたえるでしょうし、真剣に操作すれば、感覚も集中してより鑑賞が深くなる。自分が鑑賞し、その対象に自分自身も居る事になります。だからセーリングする時は、特に、感覚を研ぎ澄ませておく事は重要なポイントではないかと思います。

鑑賞にはもちろん、感覚だけでは無く、何ノットの風に対して何ノットで走っているか、ヒール角度、上り角度、自分の操作の滑らかさ、等々があって、そのうえで、感覚的にヨットがどう動いて、そこから感じるフィーリングもあります。セーリングはそういう鑑賞の対象ではないかと思います。だから、ハイスピードを狙うにしても、微軽風にしても、どう操作して、何を感じるかが重要なんだろうと思います。

秋の美しい夕陽を眺めながら、ゆったり走らせる時でも、その走りと周りの雰囲気とそのフィーリングを鑑賞する。セーリングはスポーツであると同時に鑑賞する対象でもあります。そうすると、デザインの美しさも鑑賞の対象ですから、やっぱり美しさも重要ですね。



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