第三十一話 本音の自分を遊ぶ



      
仕事なら別ですが、遊びは自分の本音を遊ばないと、心から楽しむ事はできないと思います。だって、遊びって、自分の価値観を行動を通して味わうものじゃないでしょうか? だから、楽しいし、面白い。でも、常識的な理性が凡庸な遊びに限定してしまうかもしれません。それに気が付かないうちに、慣れてしまった感もあります。だから、遊びの価値を認められなくなる。

もし、ヨットに興味を持って、デイセーラーが面白そうだと感じて、でも、もし万一、失敗を心配するなら、その時は、さっさと売って違うものにすれば良いと、そう覚悟を決めておけば決断は楽になる。そういう態度の方が自分の本音に近づけると思います。理性的に判断しても上手く行くとは限りませんから。むしろ、その方が失敗の確立は高くなる。何しろ、理性は損得勘定は得意でも、本音は感性であり、理屈じゃありませんから。

もし、本音の自分を遊べたら、ワクワクしたり、感動したり、スリルを感じたり、繊細さを味わったりしたら、それこそ充実感を感じます。無難におさめる方法もありますが、でも、マリーナでは動かないヨットが大半を占める。これは理性を使って、無難におさめた結果ではないかと想像します。

遊びですから、感性に従って、万一失敗しても、トライする度に本音に近づける方が良いのではないかと思います。私も含めて、人生そのうちに終わります。貴重な時間をどう過ごすかがかかっています。いくら本音でも、できない事は仕方ありませんが、できる範囲なら、トライする方が後悔しないで済むかと思います。
遊びは本音で行きましょう。その方が面白いですから。

        

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