第九十七話 見えないもの


      
物質文明の世の中ですから、目に見えるものが重視されて当然であります。しかしながら、それも過ぎると楽しみも半分になるのかもしれません。何故なら、楽しむという状態は、感じるもの、見えないものを感じる処にあると思います。

だからと言って、見えるものをないがしろにする事では無く、それも繋がっていますから、重要であります。よって、見えるもの、見えないもの、どちらかに偏る事無くバランスを取る事を意識しておきたいと思います。

ヨットは見えるもの。ですから、デザインは重要な要素。性能も見えるものとし、ある程度は数値化されたデータで判断する事ができますから、それを選択する事も重要だと思います。それで、レースしたり、クルージングしたりするのも見えるもの。それによって変化を堪能する事ができます。しかし、セーリングにおいては、その見えるものが少し見えづらくなるのかもしれません。競争相手は居ないし、旅の様に風景も変わらない。変化するのは、ヨットの動作です。

それでヨットの動作の変化に注意をするも、より集中力を要するのかもしれません。或いは、意識を変えなければならないのかもしれません。その間の自分の体感するフィーリングに意識的になる。つまり、デイセーリングは、見え無いものにより意識的である事が必要なのかもしれません。

スピードが上がった事で変わる自分の体感、あらゆる動きの変化における感じる変化、そこを見える変化と同時に意識していくと、より面白さが湧いてくるのかもしれません。見える変化と見えない変化、両方とも楽しみたい。そういう意識的なセーリングは、もっとセーリングを深く楽しませてくれるのではなかろうか?

これって、何だか日本人的な様な気がします。今は桜の季節、その桜の下で騒ぐも、日本人には、桜はただ美しいだけでは無い何かを感じる処があります。感じる事を大切にする日本人、その繊細さが、日本を創ってきたのではないかと思います。だから、セーリングでももっと感じてみるというのは如何でしょう?

        

次へ       目次へ