第六十三話 スポーツマインド

今晩のおかずを獲得する為の釣りなら、仕事的要素が強くなるが、釣りの感触を味わい、ゲットした魚がご褒美的なら、遊びの要素が強く、スポーツフィッシングと言う。車で家族を載せて、どこかに向かったり、荷物を運んだりするなら、それは仕事的要素が少しは入る。でも、何も用事が無くても、ドライブに出かけていくとしたら、それは遊びの要素が強くなる。それはスポーツドライブ。

行為が仕事なら、効率的であった方が良い事は言うまでも無いが、遊びなら、プロセスが問われる。魚が釣れれば良いだけでは無く、いかに釣るかが重要になる。どういう仕掛けで、どう流して、どういうタイミングで、どういう引きを感じ、どういう魚をゲットしたか? ドライブにしても、どういうルートを走り、誰と乗り、その時のスピード、加速感、ハンドルの切れ具合、等々が重要であり、どこかにできるだけ早く到達したいというわけじゃない。

つまり、仕事的要素が強い場合と遊び的要素が強い場合、同じ様な行為でも求める要素は全く異なる。そして、遊びの中でも、いろいろ工夫したりして、ベターの何かを求める場合、それはスポーツしているのと同じです。スポーツは体も使うし、頭も使う。何故、そうするのか? その結果、面白さを体感したいからです。それはフィーリングに帰結する。

ヨットをビジネスの接待に使うなら、それは仕事に徹した考え方にならねばならない。しかし、そうで無いなら、あくまで個人のプライベートな遊びとして使うなら、考え方としては、楽しさを求める遊びか、面白さを求めるスポーツかに分けられる。例を言えば、遊びはキャビンでの宴会とかピクニックとかになるだろうし、スポーツだったら、セーリングをいかにと考える。

宴会だって何度も続けていくとしたら、工夫しなければならいない。招待する人達を変えるとか、或は、料理や演出を変えるとか。そうなると如何にという要素が必要になる。ピクニックにしてもしかり。という事は、1年やそこらなら良いとしても、何年も続けるには、楽しさにしても工夫が必要になる。つまり、工夫無くしては遊ぶ事もできない。でも、工夫すれば、その甲斐あって、楽しさも面白さも増幅される。

という事はどういう工夫をするか? それによって楽しさか面白さを得られる。何もしないで、向こうからやってくる事は無い。でも、ピクニック中に偶然ながら良い風が吹いて来る事もある。これは偶然です。次にいつ来るか解らない。でも、偶然にしても、良い風が吹いて快走を味わう時、その時の気持ちはスポーツマインドに変わっている。

超難しい理屈は別にしても、ちょっとだけでも理屈を覚えて、試してみる事はスポーツマインドを育てる最初の一歩。ピクニック中に良い風吹いて、快走した感じをじっくり味わって、もう一度と思う気持ちは良いきっかけとなる。だから、最初は、ピクニックで楽しむ事を主体に、兎に角、セーリングを味わう事が重要だろうと思います。そうすると、難しい事は解らないにしても、体と気持ちが馴染むし、舵を握る感触も馴染んでくる。そして、快走なんかを偶然にでも味わうのは良いと思います。

ピクニック、プラス、セールの知識と風の知識を少し仕入れて、次の時には、シート操作だけでは無く、ちょいとトラベラーを動かしたり、バングを効かせたり、バックステーを扱ったり。ちょいと考えて、今はこれが必要じゃないかと考えて実行する。調整する幅は難しい。しかし、操作しないよりはベター、そこで新たなフィーリングが得られたら、それは大成功。次に繋がります。

何をするにも、長く続けるには、何らかの工夫が無ければならない。遊ぶのも楽じゃない。でも、楽しようと思うのでは無く、それ以上の何かを感じたい。だからヨットなのです。どうせ工夫するなら、ヨットがヨットである所以であるセーリングに向けてはどうでしょうか?楽しさもあり、面白さもある。

どんなセーリングレベルであろうと、シングルハンドで自由自在感を感じてきたら、是非、セールフィーリングを重視して、ドライブ感を楽しんで頂きたいと思います。スピード、加速感、安定性、レスポンス、頭の中にある思いを、セーリングで実際に味わう。上手く行けば、しびれる様な快感を得られる事もあります。

これらはスポーツマインドです。アクションを起こして、工夫して、結果を得る。その一連のプロセスには、頭脳プレーがあり、自分の技術力があり、状況を観察する観察力があり、体で感じるフィーリングがある。生きてるというのは、そういう事なのではないでしょうか。そして、それらの工夫は、それ自体が面白さになっていく。ヨットを最大限に楽しむ方法は、このスポーツマインドにあるのではなかろうか?

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