第六話 試行錯誤

セーリングは、ただ走るだけでは無く、それがどんなに快走であれ、結果としての快走だけでは無く、そこに至る操作というプロセスがあるからこそ面白さが何倍にもなるのではないでしょうか?
もし、結果だけが全てであるなら、誰か上手い人に操船してもらえば、それで事足りる。でも、そうでは無く、自分でそれをしたからこそ、面白くなるのではないでしょうか。

もう昔ですが、フライフィッシングに凝った事があり、少し学んでいきますと、少しづつですが、いろんな事が分かってきます。ある日、早朝に起きて、車を飛ばして山の中に入る。そこに何度か通った事がありますが、ここにフライを投入して、そこからあそこへ流し、あのポイントでヒットすれば、と思って、実際にその通りになりますと、感激もひとしおであります。魚を一匹釣りあげたという結果は、それに過ぎないのですが、そのプロセスがあるからこそ、他の一匹とは全然違ったわけであります。偶然に釣れたりもするわけですが、同じ一匹ではありません。

これと同じで、如何にプロセスを創ったかが重要なのだろうと思います。その為に、セーリングを学び、何度も乗って体験し、そのうえの試行錯誤を重ねてきた結果、ああして、こうして、という意図が生まれ、その結果の快走だったら、この上ない面白さが生まれるかと思います。人間というのは厄介な生き物で、結果さえ良ければ良いというわけには行きません。結果はもちろん重要ですが、それに連なるプロセスも重要です。

この一連のプロセスと結果を求める為に、日頃の試行錯誤があり、その試行錯誤にも結果があり、それがどんどんレベルアップしていく。そうすればする程、全体のセーリンが洗練されていきます。そうなれば、偶然における快走よりも、意図した快走をより多く味わう事ができる。

快走と言っても、ただ速いだけでは無く、微軽風に如何に走らせるかというのもあると思います。一般的に微軽風は退屈になるかもしれません。しかし、そこで、微軽風における繊細な変化を感じる事ができるようになりますと、工夫を凝らし、少しでも走れば、その変化も感じ取れますから、繊細な面白さという事もあります。

また、強風では、上手くセールパワーをコントロールして、ハイスピードを楽しむわけですが、ここには豪快なセーリングを満喫する事ができる。いずれにしろ、自分でコントロールしているわけで、その自分の支配下にヨットを置いて、できればその時の風さえも支配下にする。もちろん、過ぎたる風は無理ですが、ある程度まではそういう操作ができるようになる。

徐々にでも、そうやって幅を広げていければ、より多くの面白さを得る事ができます。それには、長い期間が必要になりますし、だから、10年でも、20年でも遊ぶ事ができます。どんなに複雑な事であっても、もし、マスターして、簡単にできるようになったら、面白くも何とも無くなるかと思いますが、セーリングの奥深さは、永遠に遊んでくれる。 世の中に天才と言われる人が居ます。いとも簡単にやってのける。だから賞賛を浴びる事になりますが、でも、本人としては、たいして面白くは無いのではなかろうか? 本人にすれば簡単なのですから。

という事は、難しいからこそ、挑戦のしがいがあって、そこに達するからこそ面白さがある。もちろん、自分のレベルでやれば良いんだと思います。自分が面白いと感じれるレベルである事が重要だろうと思います。

それで、いかに操作をするか? 操作しないで良い便利さとは違います。操作はした方が良い。頭も使った方が良い。できるだけ多く感じた方が良い。そうやって得た結果は、面白いに違いないと思います。中でも、頭脳は重要だろうと思います。考えるセーリングです。年をとりますと、必然的に体力は衰える。従って、それをカバーするのが頭脳でありますから、考えるセーリングです。電動ウィンチを使っても、頭脳は働かせなければなりません。もちろん、感覚的にも鋭い方が良い。

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