第六十六話 Back To The Sailing

ヨットなんですから、セーリングを楽しみましょう。それがヨットがヨットである意義であります。ところが、最近のヨットはセーリング以外の事が強調され過ぎてきた感があります。セーリングを堪能し、乗りこなしたうえでの話なら良いのですが、それどころか、セーリングを阻害しかねない。

楽にできるのは良い事でありますが、楽を追求し過ぎて、セーリングが疎かになり、セーリングはしても、それ以上では無くなってきた。それはセーリング自体をもっと求めていく気持ちが無くなってきた。それはレース派の人達がする事という雰囲気であります。

そんな雰囲気が世界中に広がったからでしょう、世界はデイセーラーという新しいジャンル生み出しました。その意味は、このタイトル通り、Back To The Sailing なのであります。もう一度、セーリングを我が手に取り戻す。それは勝つ為では無く、ただ純粋にセーリングという遊びから、そのフィーリングを味わう為。

フィーリングと簡単に言っても、あらゆる行動はこのフィーリングの為にあり、上手い物食べたら、上手いというフィーリングが手に入るし、お金を儲けたら、そのフィーリングが手に入り、映画見て、音楽を聴いて、感動したら、そのフィーリングが手に入る。要は、我々が究極に求めているのはフィーリングなのだろうと思います。そして、もちろん、ひとつのフィーリングでは無く、様々なフィーリングを求めているのであります。

ヨットがもたらすフィーリングはたくさんあります。頭で考えると、それは快適性を求める事になるかもしれません。快適キャビンは誰もが想像できる。何故なら、家の延長だから。それはそれで良いわけですが、それに傾き過ぎると、家は家、それ以上にはなりません。でも、ヨットにはセーリングという未知の世界があります。

上手いとか、下手とか関係無く、誰にでもその未知の世界が開かれています。それは家の延長でも無いし、陸上のどこにも無い。だからこそ、それは怖さもあります。でも、そこを超えていくのが冒険であり、新しいフィーリングの世界。考えてみれば、我々は成長するに従って、未知の世界を体験してきたわけですが、そこに慣れて、年取ってきますと、保守的と言われるように、慣れ親しんだ世界に安住したがる。しかし、何もたいそうな冒険をしようという事では無く、ちょっとだけのプチ冒険を体験しますと、これまで味わった事の無い、感動を覚える事もあります。

そのプチ冒険をする事に慣れていきますと、プチ冒険を何度も体験し、その都度、新しい世界が広がる。つまり、新しいフィーリングを手に入れる事ができると思います。生きていくには栄養が必要で、体は食事を求め、心はフィーリングを求める。それが栄養なんだろうと思います。

だから、プチ冒険を続ける事がその栄養であり、それが新しいフィーリングだろうと思います。便利な、快適なクルージング艇が蔓延してきた事に対抗して、デイセーラーが出てきた。そこに何か、レジスタンス的なプチ冒険を感じますね。

ヨットはセーリングを重視しないと、ヨットである必要性が薄れていきます。ヨットで無くても良い事がある。でも、セーリングはヨットでなければなりません。セーリングにフィーリングを求めないとするなら、ヨットで無くても良い事になります。と言うことは、ヨットを楽しむ最高の秘訣はセーリングをどうするかになるかと思います。

各人でセーリングの仕方は違う。それで、自分なりのセーリングという事を考えて、プチ冒険を重ねていくのが良いのではないかと思います。よって、”BACK TO THE SAILING” なのであります。これ無しで、ヨットを長く続ける事はできないのではなかろうか? ヨットを本当に楽しむ事はできないのではなかろうか? セーリングに意識を置いて、自分なりのセーリングを求める。それをヨットの核とする。それが求められているのではないかと思います。だから、デイセーラーが広がってきた。少なくとも、欧米の世界では。そう見ています。

デイセーラーはセーリングを求めています。でも、それはレーサーに対するものでは無く、クルージング艇に対するものです。セーリングから如何に面白さを引き出すか?それがテーマです。

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