第十五話 日本文化

各人、ひとりひとりは違うにしても、我々は日本人として、共通の日本文化の中で生きてきたわけであり、その日本文化は独特です。かなりユニークであります。という事は、日本人は世界のどこの文化とも違うわけで、日本人は個性が少ないとか言われた事がありますが、まあ、余計なお世話であるわけですが、世界的に見れば、日本文化は相当違います。かなり個性的です。日本人全体が世界的に見て、相当個性的なのであります。

日本と海の関わりを見ますと、日本は立派な海洋国家です。海に囲まれた国で、昔から海に関わりを持ってきました。今でもそうです。

しかし、問題は海を遊びとする事。勤勉な日本人として、世界的に有名ですが、遊び下手とも言われます。遊びとは何でしょうか? 西欧人のキリスト教的価値観からして、仕事は苦として捉えられます。それで、彼らの遊びとは仕事以外?

彼らは特に何もしなくても、長い時間を過ごす事ができます。ところが、日本人は何かをしなくては気がすまない。だから、ヨットで何時間も、それもしょっちゅう、何も特別にしないで過ごす事は、日本人には向かないのだろうと思います。これがヨットのキャビンに対する大きな考え方の違いではなかろうか?

日本人はたまには良いんですが、基本的には、遊びであっても、何かをしないではいられない。その勤勉さから来る国民性ではなかろうか? これは日本人特有な性質、昔から受け継がれてきたDNAではないかと思います。ですから、ヨットで、何もしないで一日のんびり過ごす事は得意では無いのではないかと思います。何もしないのなら、ヨットには行かないという事になる。

何かをしたい。仕事はもちろん、遊びにおいても、何かをしたい。それが日本人だろうと思います。だから、宴会をすると決めれば行くし、セーリングすると決めれば行くし、クルージングやレースなんかも同じです。その中で、各目的がしょっちゅうやりたくなる事なら、しょっちゅう行くし、たまにで良いならたまにしか行かない。

たまになると、どんどん間が空いていきます。1ヶ月に1回が2ヶ月に1回になり、どんどん空いて、1年に2、3回とか、数年に1回とか、そのうち殆ど乗らなくなるケースもあります。だから、何か目的をひとつ持って、それを求める事が必要ではなかろうか?

日本人は日本人としての遊び方をすれば良い。西欧人と同じスタイルは合わないし、する必要も無い。暇を持て余す日本人、暇を暇として楽しめる西欧人、全然価値観が異なります。

本来、何でも一生懸命やるのが日本人だろうと思います。ですから、仕事だって、生きがいになります。西欧人の苦役とは異なる。日本人は仕事だろうが、遊びだろうが、生きがいを持つ事が喜びになる。それはのんびり過ごす事では無く、何かに打ち込んで、そこから面白さを引き出す事。それが日本人の遊びなら、ヨットだってそうすれば良い。

それで、最も、誰でも取り組む事ができるのが、デイセーリングにおけるセーリングの探求ではないかと思います。だからこそ、それに特化したデイセーラーは日本から生まれて欲しかった。そういうスタイルを世界に広げて欲しかったと思います。

それは兎も角、ヨット文化自体は西欧文化であり、まだまだ深く根付いているとも言い難い日本では、そこまではまだ無理なのかもしれません。しかし、これから先、何十年と経過する時間において、もし日本にデイセーリング文化が定着していきますと、日本からも新しいデイセーラーが、ひょっとして生まれてくるかもしれません。それには期待したいですね。それはひょっとしたら、今日のデイセーラーとは違うかもしれません。定着して、一旦自分のものにすると、日本は世界的にも優れたものを造る。それが日本ですから。その前に、定着し自分のモノになる過程が必要ではありますが。

デイセーリングは身近で、深いセーリングを探求する事ができる。それは日本人に合うと思うのです。忙しい日本人、何かをしたがる日本人、真面目な日本人、西欧文化であっても、徐々にマスターして世界に躍り出る。オリンピックなんか見てもそうです。ヨットという文化が日本に根付けば、日本スタイルのヨット文化へと昇華する。それはクルージングでも無く、レースでも無く、西欧人の別荘的スタイルでも無く、デイセーリングではなかろうか?

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