第九十七話 全ては手段

我々の行動はある目的においてなされます。しかし、良く良く考えてみますと、その行動によってもたらされる結果そのものと言うより、結果がもたらすであろうその時の自分の感覚を楽しむのが目的です。成功を目的として、その成功がもたらす気分を楽しむ。レースに出て、強豪を抑えて優勝する。その優勝の感覚を味わいたい。優勝トロフィーは証ではありますが、トロフィー自体が楽しいわけでは無い。

全ての究極の目的は、その物や事では無く、それらを手に入れた時の自分自身の感覚なんだろうと思います。という事はあらゆる物や行動は手段という事になります。つまりは、いろんな手段を通して、自分の中にあるいろんな感覚を引き出して、それを味わいたい。美しいヨットを見て、その気分を味わいます。セーリングを通じて、そのスリルや快走感を味わいます。あっちこっちクルージングして、いろんな箇所を巡り、その感覚を味わいたい。

この手段無くして、我々はその感覚を味わう事ができません。気分や感覚は見えない曖昧な世界で、我々が住む具体性を持つ世界は見える世界です。我々は、この見える世界を通じてのみ、これを手段としてのみ、感覚を刺激する事ができる。

その為に、どんな手段を選ぶかが、個々の違いになります。でも、手段は違えど、目的は同じですね、自分の感覚を引き出す事です。

選択した手段に、自分の行動が加わる事によって、いろんな感覚を味わう事ができます。だから、それは手段と自分の行動次第という事になります。簡単な手段と行動からは、その同じレベルの感覚が引き出され、もっと突き詰めれば、それに応じた感覚が得られる。だから、その手段とアクションは、自分の感覚によってバランスされます。

できれば自分が望む気分だけを味わいたいと考えます。しかし、何らかのアクションをすれば、いろんな気分が出てきて、望む気分だけとはいきません。それで、アクションを起こさないなら、望む気分も手に入らない。つまりは、全てを受け入れなければなりません。でなければ、退屈感だけになるかもしれません。

もし、楽しさだけを追ったら、それに対する喜びもたいした事は無いのかもしれません。面白さを追ったら、良いも悪いも、両方が出てきて、両方を受け入れたら、最高の面白さも手に入れる事ができる。

ボートもヨットも、その他、ありとあらゆる手段が、オーナーのアクションに応じた感覚を与えてくれますが、大抵は、そこそこで終わります。求める方は少ない。そこから一歩踏み出した人は、感覚としては全然違う感覚を味わってます。そこが充実度の違いになるかもしれない。重要な事は何をしたいかでは無く、どんな感覚を味わいたいか?その感覚の為にはどうするか?

今、満足ならそれで良いのですが、そうで無ければ、一歩だけでも踏み出してみる事を御勧めします。我々は限りある時間の中で、どう生きていくか? それは多分、どれだけの自分の感覚を引き出して楽しめるのか? その為にどういう手段で、どういうアクションを起こすか、これらにかかっているのではないかと思います。

ヨットを手段として選択されたのであれば、是非、セーリングを手段として、レベルアップを図りながら、それに対応する自分の感覚を楽しんでいただきたいと思います。セーリングの快走感、精緻さ、アクションに対するリアクション、もちろん、良い事ばかりではありません。だからこそ、全てを受け入れた時に、面白さを味わう事ができる。セーリングは一般からすれば特別な行為です。という事は特別な気分を味わう事ができます。一般の方々は一生味わえない感覚です。そこをさらに突き詰めると、もっと特別な気分を味わう事ができます。それは生きているという人生のレベルを左右する事かもしれません。生きているというのは、簡単に考えれば、感じる事だと思います。
充実感とか言いますが、これも簡単に考えれば、どれだけ多くを感じたかではないかと思います。
好きな事を手段として、いろんな感覚を遊ぶ。良いも悪いも、どれだけの感覚を遊べるか次第なのかもしれません。

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