第二十九話 品質+腕=感性

ビギナーの時はその善し悪しが解らない。当然ですが、それでも、その乗り続けてきたヨットのレベルにやがては合致してきます。当然ながら、良いヨットに乗り続けると、自分のレベルもそれに比例していく。何が合致するかと言いますと、自分の感性です。

感性というのは非常に大事で、あらゆる技術や道具やその品質は、最終的には感性に行き着くのではないでしょうか? 自分の技術を磨くのは、その感性の為、良いヨットも感性の為。自分のヨットの品質は変わりませんが、もちろんメインテナンス次第ですが、自分の技術は向上させる事ができる。

自分の技術は自分次第です。それで、良いヨットに乗る意義は、自分の感性が育つという事になると思います。良いと言ってもキリがないかもしれませんが。 ヨットはどれを見ても一見同じように見えるかもしれません。でも、実際は違う。妥協無きクオリティーとか宣伝文句がありますが、あれは嘘ですね。あらゆるヨットは妥協の産物です。ただ、どこら辺に妥協しているかはそれぞれに違っています。

デイセーラーはセーリングに的を絞っています。ですから、セーリングにおいては妥協ポイントが高い。でも、反面、キャビンの居住性等に対しては妥協ポイントは低いと言えます。デイセーラーはセーリングにおいては良いヨットです。でも、クルージングに対しては良いとは言えません。これはキャビンの広さや装備においての事です。

ですから、クルージングはさておいて、セーリングを中心に的を絞るなら、感性的にもベターなフィーリングになります。ベテランに対して、彼らの感性に呼応できるし、ビギナーに対しても感性を育てる事になるかと思います。しかし、一方で、居住性に対しては快適に長くそこで過ごすという前提ではありません。

感性はスピードだけでは無く、あらゆるセーリングにおけるフィーリングの違いです。セーリングの質とでも言いましょうか、その質に対する自分の感性のレベルです。そこに長く乗り続けますと、自分の感性がそれに慣れていきます。

これは単純に価値感の問題であって、いかなるヨットであろうとも、セーリングはできる。でも、上質なセーリング感を味わうと、やっぱり良いですね。昔々ですが、あるボートに乗った時、それが普通でしたので、何とも思わなかったのが、やがて、いろんなボートに乗って、自分の感性が変化していきますと、その昔のボートにはもう恐ろしくて乗れません。他のボートを知らなければ解らない事だったのでしょうが、知ったからにはどうしようもありません。

しかし、上質を知る事は悪い事じゃ無い。良いヨットとは、使用目的に合致しているヨットと言えますが、もっと突っ込んでいきますと、その目的に合った中でも、質がある。車でも同じですね。
そして、自分の感性も、そこに習う事になります。求めればキリは無いが、やはり何でも良いというわけには行きません。

ただ、その感性は自分の腕にも合致していくと思います。決してヨットだけに頼っているわけでは無いと思います。その気になれば自分の腕を上げる事はできる。そうしたら、自分の感性も自然に向上していく事になります。ヨットの品質には限度があるかもしれないが、こちらの方は限界が無い。それで、腕を上げるというのは、自分の感性を洗練させている事にもなると思います。だから、違いが解る。だから、面白さに違いが出てくるのではないでしょうか?

ビギナーはビギナーとして面白い。感性もビギナーです。でも、感性はそこに慣れてしまいます。それで、自分の腕を向上させるか、ヨットを買い換えて、もっと良いヨットにするか、そうしないと面白さが減ってくる。もはや、慣れしまった感性は満足しなくなる。でも、簡単にヨットを変えるわけにはいきません。という事は、腕をもっと上げて、自分の感性を刺激してやらねばなりません。刺激を与えられた感性は洗練されていきます。それは面白いと言っている事と同じだと思います。面白さというのは、感性が驚く事だと思います。

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