第七十二話 気持ちの良いセーリング

なんだかんだありますが、ただ気持ちの良いセーリングをしたい。お気に入りの、美しいヨットで、自由自在に操船したい。それだけなんですね、本当は。

昔ですが、フライフィッシングに凝っていた事があります。最初は何でも釣れれば、それで楽しいわけですが、徐々に欲が出てきまして、あそこに落として、こう流して、あのポイントで魚が食うという様な事を考え始めます。そして、その通りになりますと、これはもう楽しいどころか面白さに変わります。

セーリングだって、最初は出るだけでも楽しいのですが、経験を積んできますと、やっぱり欲が出てきます。簡単操作とか、便利とか言いますが、それ以上に、思ったセーリングができると快感であります。

実は気持ちの良いセーリングはそう多くは無いと思います。何しろ、風頼り、天候頼りなんですから、自然相手である限り受け入れるしかありません。もし、これが人工相手なら、イラついたりもしてきます。どうにかしろと言いたくなります。でも、自然ですから、誰もが受け入れる。それで、気持ちの良いセーリングを待っていては、いつのことやら。

そこで、どうにかして面白いセーリングを求めます。ああして、こうして、弱い風、強い風、いろんな状況で、いろんな工夫をして、自分のセーリングを創ります。そうしたら、楽しさ以上の面白さが生まれていく。これはやってみないと解りませんね。

気持ちの良いセーリングは大歓迎ですが、そこに留まらずに、一歩踏み出してみますと、面白さを見出す事ができる。セーリングで無くても、何をするにしても、同じ事が言えます。面白さとは、自分がアクションを意図して、創意工夫をして創るものかもしれません。偶然に起こったセーリングは、楽しい事はあっても、それ以上にはならないのかもしれませんね。

という事で、楽しいセーリングは意図せずに偶然を受け入れるセーリング、面白いセーリングは、自分の意図が介在して創るもの。どちらも、気持ちは良いのですが、やっぱり質的には違うと思います。快感度から言えば、楽しいの何十倍も、面白さには快感度が高いと思います。

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